日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 9/26 「おもてなしのこころ」

病棟日誌 悲喜交々 9/26 「おもてなしのこころ」
 この日の穿刺担当看護師はキム君だった。当方はぐりぐりの「憎韓」で、それを隠さぬのだが、集団でなく個人は話が別だ。冗談を言い、身の回りの話をする。
 打ち解けて来たと見え、キム君は自分から身の上話をするようになった。
 実家が川崎であることや、今はそこにお母さんが一人で暮らしているとのこと。お父さんは出張で全国を回っているらしい。色んな地方に単身赴任で行くそうだ。
 仕事は聞かなかったが、ダムとか大規模な建設工事に関わっているのだと思う。それなら中長期に渡り帰って来ないし、全国の現場を巡る。
 「時々、お袋さんに電話してあげるんだよ。母親にとって息子は彼氏以上の存在だからね」

 病棟では隣近所の話が筒抜けなので、周囲の患者の様子が丸わかりだ。
 右隣の患者は七十歳を少し超えたオヤジジイなのだが、医師が「手術」を勧めていた。CT撮影したら、胸部の動脈に瘤があるのが分かったそうだ。
 「手術の必要な大きさになっていますから」
 こりゃまた微妙な話だ。
 「手術が必要」な胸部大動脈瘤なら、既に40~50ミリの大きさに達している。
 安静にしている分には、すぐに破裂はしないだろうが、心臓病や腎臓病患者は血圧が乱高下することが多いから、リスクが高い。
 だが、一方で手術を受けること自体にリスクがある。手術中に亡くなるケースも結構あるから、「手術を受けなければもう少し生きられた」という場合もある。
 八年前に心臓の治療のため入院したが、その時の隣のベッドの患者が六十歳前後の男性だった。
 中国に赴任中に、何か特別な料理(猿の脳味噌の類)を食べたが、その食事中に具合が悪くなった。 

 検査を受けると動脈の異常だったから、帰国して調べると、70ミリの大動脈瘤だった。70ミリなら、いつ破裂してもおかしくない。もちろん、それが明日なのかひと月後なのか半年後なのかは分からぬが、いずれ破裂する。
 「手術をしましょう」という話になったが、しかし、そのサイズだと手術のリスクがかなりある。成功率があまり高くなく、40%くらい(確か)。となると、残りの60%は「この世とおさらば」ということだ。
 医師は親族を複数回集め、繰り返し手術の説明をしていた。
 ま、これは失敗した時の予防線だ。
 当方は隣で聴いていて、「成功率が40%なら、手術を受けずに運を天に任せる」のも選択のひとつだと思った。
 治療することによって事態が悪化することも多い。前立腺なんかは癌化しても進行が遅いから、「触らない」という選択をする人も多い。切除することで、それが刺激になり、余計に癌が活性化したケースもある。
 隣の患者は、不安や緊張のあまり、夜中にぎりぎりと歯ぎしりをしていた。煩くて堪らなかったが、病室の患者は誰も文句を言わなかった。「この人はかなりヤバい」と皆が思ったからだ。

 ちなみに、「お迎えの到来」を避ける方法のひとつは、「自分より危ない人の近くにいる」というものだ。連れ去りに来た者が、そっちに気付き、先にそちらを連れて行く可能性がある。
 個室では逃れようがないから、なるべく大部屋で、他に重篤な患者のいる状態が望ましい。
 向かいのベッドの患者は七十歳くらいだったが、脳梗塞心筋梗塞を同時発症して、繰り返し手術を受けていた。こういう患者が二人いれば大丈夫(違うか)。実際、この時に私のところに「お迎え」が来たのだが、そのまま私を捕らずに帰って行った。これは幾度も記したから詳細は省略。


 結局、70ミリの患者は手術室から戻って来なかった。個室の方も見に行ったが、名前が無かったので、あのままこの世とオサラバしたらしい。手術しなければ、少なくともあと何日かは生きられた。
 こういうのは、医師ではなく本人が決断することで、他の誰のせいにも出来ない。状況を見極め、腹を括ること。

 さて、以上は前置き。
 画像はこの日の病院食で、茄子のカレーだった。
 病院のカレーだから、そんなに辛くは無いのだが、これが意外に美味しい。母ちゃんカレーとも、専門店のカレーとも違う味だが、割と食える。ま、食材を前処理してあり、肉も野菜も湯通しして、リンやカリウムを落として使っている。よって、体に優しい。
 フルーツは混ぜ混ぜの缶詰で、もちろん、並んではいない。
 この日は、栄養士のババさんがベッドに来たので、配膳のことについて訊いてみた。
 「半年から八か月前に、調理部門に新しい人が入ったはずです。毎回ではないのですが、ミカンの缶詰が花輪のかたちに並べてあります。それが始まったのはそれくらい前なので、まずは新しい人がしたということです。この方は、五十歳くらいの女性で、下の子どもが高校生くらいの男の子ですね」
 フルーツを「並べる」ことは、たぶん、無意識にやっている。
 普段、やり慣れているから、自然にそうする。
 これは、息子のためにいつも弁当を作っている母親である可能性が高い。
 かつ、弁当を持参するから小中学生ではない(給食が無い)。

 ババさんは少し考えて、こう答えた。
 「確かにその頃新人が入りました。たぶん、推測の範囲を越えていると思いますね。新しい配膳担当はヴェトナムから来た女の子たちです」
 これで疑問が氷解した。
 ヴェトナム人はアジアの中で、日本人に最も近い文化を持つ人たちだ。「恥ずかしさ」や「思いやり」の何たるかを知っている。こういうのは、ニュースで見るヴェトナム人の姿からは到底想像が出来ない。直接接しないと、人となりを知ることは出来ない。

 「フルーツがきれいに並んでいたら、それを食べる患者が慰む。このひと手間がおもてなしの心だと思いますね。負担になるから、何時も出来るわけではないけれど、余裕がある時にはこうする。俺はこの人に会って、御礼を言いたいし、何かプレゼントしたいです」
 ババさんは「では調べます」とのこと。
 そこで、若い頃にタイに行き、ヴァトナム難民のいる難民キャンプで働いた話をした。
 その時に、時々、難民家族にお呼ばれして、ご飯をご馳走になった話もした。難民の手助けに行ったのに、その人たちから食事を振舞って貰ったが、日頃働いてくれていることへの感謝の気持ちだったのだろうから、もてなしの心は勿論有難く頂いた。

 日本で研修生として働くには、事前に彼の国で日本語をある程度習熟する必要があるのだが、その時点で結構な借金を背負うらしい。この手の活動には、ブローカーがいて、早く進めてくれる代わりにかなりの金を払わされる。借金返済があるから、最初の数年の稼ぎはほとんどが「返す金」になる。現地側だけでなく、日本側にもブローカーがいて、役所の内部にも通じている。こっちにも当然金を払う。
 コロナで仕事が滞った時には、こういう人たちはさぞ困っただろうと思う。仕事が無くなっても、借金の催促が来る。払わぬと、次第に顔つきの悪い奴が出て来るし、国の家族に危害が及ぶかもしれない。
 食い詰めた者の中には犯罪に走る者もいる。

 こういうのを、テレビなどでは、面白おかしく伝えたり、「こんな悪い外国人が」の論調で伝えたりする。テレ朝とかBTS(もといTBS)が代表だ。
 それを見る度に、「こいつら(メディア人)は自分たちはのうのうと暮らしていて、何ひとつ物を考えずに人を断罪するやつらだ」と思う。上っ面のことしか見ぬし、調べない。
 名刺に「新聞」とか「テレビ」業界の文字があれば、当方は即座に脛を蹴ることにしている。非難批判ではなく憎悪。

 日本人は自分たちの「おもてなし」の姿勢を誇張・吹聴するけれど 、最近はスタンドプレイ的な匂いがぷんぷんする。
 誰も褒めてはくれぬが、相手のために「良かれ」と思って、密かにミカンを花輪型に並べることが、本物のおもてなしだと思う。

 ババさんは、「よく気付きましたねえ。私も知りませんでした」と言うが、「ひとのことは一挙手一投足を観察してしまう性質なんです。その代わり自分のことには目を瞑ります」と答えた。
 現実には、週に三日、六時間くらいずつ病院のベッドに拘束されるから、「時間を潰すために、あれこれものを考えざるを得ない」という話だ。