日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎連れて行かれたのはあの人の方

連れて行かれたのはあの人の方

 七八年前に入院していた時のことは幾度も記録を残した。時間が経つにつれ、記憶が混濁して行くが、逆に時間が経ったから状況が分かることもある。

 心臓の治療で入院したのだが、私が希望して六人部屋に入れて貰った。母は入院生活のベテランだったが、常々、「個室ではなく、大部屋に入るようにしなさい」と言っていた。

 普通は個室の方が「気兼ねなく過ごせる」と思うわけだが、生活環境として眺めるのは、命に係わらぬ入院の時だ。

 生き死にがかかる時には「大部屋にしろ」と母は言っていた。

 

 何故そうしなくてはならないのかは、この時に分った。

 当初、私は入り口に最も近いベッドに居たが、すぐ隣のベッドの患者がやたら煩かった。夜になると、ぎりぎりと歯ぎしりを始め、これが朝まで続く。寝ぼけてそうしていたのではなく、眠れずに、かつ意図的にそうしていたのだ。

 だが、その部屋の患者は誰も文句を言わなかった。

 そのことも怪訝に思ったのだが、理由はすぐに分かった。

 その患者が「胃の裏の大動脈に60ミリの動脈瘤が出来ている」患者だったからだ。

 大動脈であれば、2、3ミリサイズの動脈瘤が出来ても命に係わる。破裂すれば即死に近い死に方をする。

 その患者は病状を知らされたばかりだったが、現実感が無いらしく、最初の一二日は家族と冗談を言っていた。

 ところが親族に召集が掛かったり、医師の説明が繰り返し行われるなど、緊張度がやたら高い。

 それもその筈で、「何時破裂するか分からず」「手術するにも成功例がかなり低いケース」だったからだ。

 放置すればそれが今日なのか、三日後なのかは分からんがとにかく死ぬし、手術すると術中に死ぬ可能性が高い。

 途端に本人が不安になり、眠れずに「ぎりぎり」と歯ぎしりをしていたという状況だった。

 

 隣のベッドだけに、その患者の家族が来て家族で相談している内容が、丸わかりになった。

 患者は商社マンで、中国に赴任していたこと。五十台だ。

 辺鄙なところに行き、そこで珍味を食べたこと。その珍味は猿の脳味噌だ。あのインディ・ジョーンズで食卓に出たヤツに近い。

 猿料理に直接の関係はないと思うが、その翌日くらいに発病した。

 詳細な検査を受けるために、すぐに帰国してこの病院に来た。

 自分が死にそうになる実感などまるで無いから、心がカタルシスを起こしている。

 数日後に手術をすることになっているが、その前に幾度か説明会があるのと、親族に集まって貰う相談をしていた。

 

 たまたま私の前のベッドの高齢患者が去り、ベッドが空いたので、看護師が気を利かせてそっちにベッドを移してくれた。

 これは、「猿」の患者から少しでも遠ざけてくれようという計らいだ。

 で、そのベッドに移った夜に、私に「お迎え」が来た。

 この辺の経緯は幾度も記したので省略するが、二人組で青黒い顔をしていた。

 この世の者でないのは一瞥で分かる。

 たまたまなのか、まだその時ではなかったのかは知らぬが、私を連れて行けぬことを悟ると、二人組は舌打ちをして部屋から出て行った。

 

 自分のことで精一杯だから、他の患者のことは塵ほども考えていなかったが、ちょうど「猿」の患者の手術と前後していたのではないかと思う。

 向かいの患者は、手術室に去ったが、あの部屋には戻って来なかった。そこは「大手術だから術後はICUに行く」か、「個室に移った」のだろうと思っていた。

 二日後くらいに、運動がてら循環器の入院病棟をひと回りしたが、個室のどこにもその患者の名札が無かった。

 仕方のないことだが、やはりあの患者は亡くなったのだろう。

 

 その付近の病室は循環器病棟の中でも重い方の患者ばかりがいて、外科手術をこれから受けるか、受けた直後の人ばかりだった。

 私の前に向かいのベッドに居た高齢男性も、心筋梗塞脳梗塞を同時に発症した患者だった。

 

 で、最近になり気付いたのは、「あの二人組は、私の代わりに、あの患者を連れて行ったのではないか」ということだ。

 普通、「お迎え」は、一度目に来た時から半年後か一年後にまた来る筈で、二度目には猶予期間の延長は無い。

 その後、かなりの年月が経ったが、あれほどの強力な死神はまだ訪れていない。

 ま、別のヤツは沢山来ている。

 

 改めて、母が「大部屋にしろ」というのは、このことを言っていたのかもしれんと思う。すぐ隣に、その人よりも「死に間際」に立つ者がいれば、そっちを先に連れて行く。

注記)書き殴りであり推敲も校正もしない。不首尾はあると思う。