日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K61夜 和風旅館

夢の話 第1K61夜 和風旅館

 九月二十六日の午前二時に観た短い夢です。

 

 我に返ると、俺は玄関の三和土のようなところに立っていた。

 目の前は廊下で、薄らぼんやりと灯りが点いている。

 正面すぐ脇に階段があり、すぐに二階に行けるつくりになっている。

 「あ。ここは」

 あの和風旅館じゃないか。

 俺はまたここに来たのか。

 

 数年前のこと。半年以上に渡り毎日同じ夢を観た。

 夢の世界に降り立つと、そこは広い和風旅館で、座敷が幾つも連なっている。

 人がいる部屋もり、いない部屋もある。

 一度、襖が全部開いていたことがあるが、はるか遠くまで畳の部屋が連なっていた。部屋が何百あるか分からない。

 その中のひと部屋にいると、廊下をずりずりと人の歩く音がする。部屋に人がいる時には、廊下でその音が聞こえると、皆が先を争って逃げた。

 自分たちに近寄って来るのが、縞紬の着物を着た女で、これは酷い悪霊だからだ。

 女に捕まると、頭から食われて、女の一部にされてしまう。

 

 最初はそのことが分からずに、ただ「気配がしたら逃げる」を繰り返していたが、次第に状況が飲み込めて来た。

 その旅館が、実は私の生家をデフォルメしたもので、そこにあるもの総てが、私の記憶の中から拾って来たものばかりだった。

 断片的な記憶を繋ぎ合わせて、その旅館が構築されていたのだった。

 他の者は私が創り出した者ではなく、この場を共有している別の人格だ。その人にとっては、この旅館の見え方は、その人なりの見え方で見えていることも容易に想像出来た。

 「ここは夢の世界ではなく、あの世の一丁目だ」

 それなら、何としてもあの縞紬の女に捕まらぬようにしないと。

 

 こうして半年以上の間、毎夜、旅館の夢を観て、同じように逃げ惑った。いつも二階にいて、襖で仕切られた部屋の間を行き来しているのだが、ある時、ついに一階に降りる階段を見付け、そこを駆け下りた。その時から、その場所の夢を観なくなった。

 

 これが何年か前の話だ。

 しかし、この新しい夢でも俺はまた旅館の入り口に立っていた。

 (既に「自分が夢の世界にいる」という自覚があった。)

 「中には上がりたくないよな」

 だって、ここは「あの世」だもの。

 後ろには入り口の扉がある筈だが、そこを開けたところで、この建物の周囲は漆黒の闇だった。

 かつて、旅館の中を逃げる時に、縁側廊下の外を覗き込んだことがあるが、どこまで行っても闇があるだけだ。

 たぶん、あの闇に落ちると、永遠に落ち続けるのではないかと思う。

 羽柴秀吉は生前に悪行三昧を繰り返したが、死んだ後、幽霊になって出たという話がひとつもない。あれは、あまりにも酷い悪さをしたから、死後、すぐに奈落の闇に落ちたことによる。生まれ替わることも無ければ、悪霊にさえなれぬのだった。

 

 再び我に返る。

 「このところ心の状態が悪いとは思っていたが、またここに戻って来たのか」

 進むも退くもかなわない。

 「とりあえず、この夢から覚めてくれ」

 階段の上の方から、廊下の板を踏みしめる「めり」という小さな音が響く。

 程なく「すりすり」という足音が聞こえる筈だ。

 途方に暮れつつ、ゆっくりと覚醒。

 

 持病を持つ者は、目の前のことで頭が一杯で、中高年期に特有の心のカタルシスは来ない筈だった。

 生き残ることに必死だから、「先の見えぬ不安」を感じる以前の問題だ。「何となく『もう生きていたくない』と感じる」ことが少ない。

 六十台に突然、ぽっくりと自死する人がいるが、これはそれだ。

 だが、持病に苦しむ者でもやはり心のカタルシスはゼロにはならず、私も頻繁に「もう疲れたな」と思うことがある。

 「この先生き続けて何になる?ただ苦しむだけじゃないか」。

 

 しかし、生きるのを止めると、この夢に現れるような和風旅館が待っている。とにかく逃げ惑う日々が待っているのだ。

 そこから解放されるには、今のところ、「闇の中に逃れる」か「縞紬の女と同化合体する」しか選択肢がない。

 まだ、出口が見つかっていないのだ。

 現状では、私はあの悪霊と同化して、今度はひとの魂を捕らえて喰らう側に立つのではないかと思う。

 

 「階段」はこの世に戻るルートだが、もはや私には寿命の終りが来ている。次にはこの世に戻るための階段は見つからぬと思う。

 もしあの旅館の中に入ったら、先に進むしか手がなくなる。

 怖ろしいのは、縞紬の女の悪霊ではなく、「永遠に続く闇」の方だ。あそこは虚無そのもので、一切何もない。暗闇の中を永遠に落ち続けるだけになる。

 

 ちなみに、現状でPCの前に座っていられるのは、ほぼ四十分くらい。

 ちょうどこれを書き、SNSに添付する前の時間になる。この先は一二時間ほど休まねば起きることすらままならない。これでは集中して何かを書き記すことが出来ぬから、本来の原稿には手が付けられない。そしてそれが絶望感の根源だ。

 その反動で「止められぬ怒り」が湧き上がることがあるから、悪霊にはいつでもなれる。