日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎無間地獄

◎無間地獄

 (二十分と椅子に座れなくなっているので、推敲も校正も出来ず、書き殴りです。)

 三年から四年前に、毎日、同じ夢を観ていた時期がある。

 いつも同じで、こんなような内容だった。

 

1)悪夢 

 我に返ると、和風旅館の中にいる。 

 建物の周囲を縁側廊下が囲んでおり、内側には座敷が連なっている。

 部屋数はどれほどあるか分からぬほどで、襖を幾つ過ぎても、まだ奥の部屋があった。

 居酒屋のように、卓が並べられている部屋もあり、そこには客が座って飲食をしていた。

 私もその卓のひとつに座っているのだが、卓上には酒もつまみも無い。

 どれくらい経ったのか分からないが、暫くすると、誰かが急に部屋の中に入って来る。

 入って来たのは四十歳くらいの男だった。

 「アイツが来るぞ。皆、ここは出た方がいいよ」

 すると、そこに居た客七八人が慌てて部屋を出て行く。廊下に向かう者もいれば、襖を開けて別の部屋に出る者もいる。

 勝手が分からず、茫然としていると、最後に部屋を出る男が私に告げる。

 「あんた、新参者だな。アイツに捕まったら大変なことになる。すぐに逃げた方がいいよ」

 すると、縁側廊下の方で、ずりずりと足袋を擦りながら歩く音が響く。

 片方の端から「誰か」が歩いて来るのだ。

 縁側廊下の側は障子になっているのだが、その障子に女らしき影が写る。

 その影を見た瞬間、「これは不味いヤツだ」と心が震え、慌てて逃げだす。

 必死で奥に走り、襖を幾つも開けて、遠ざかろうとする。

 そこで目が覚める。

 

 この夢には様々なパターンがあり、誰もいない部屋に独りで座っていることもあれば、廊下に立っていたこともある。しかし、いずれのケースでも、「怖ろしい女」が現れるので、ひたすら逃げることになる。

 点々と明かりの点いた廊下に立っていた時に、真っ直ぐな廊下の先を望んだことがあるが、何キロ続いているのか分からぬほど長い廊下だった。

 

2)「縞女」

 繰り返し同じ夢を観ているうちに、幾度か捕まりそうになるケ-スも出て来る。

 障子が半開きになっているところに、「女」の姿が現れるのだが、その「女」は縞紬の着物を着た三十台半ばの女だった。

 私は頻繁に昔のことを調べるから、出で立ちや佇まいでどの時代のものかは分かる。

「女」は昭和ひと桁か大正末期頃の装束を身に着けていた。

 顔の表情は、女優のISさんに似ている。ISさんは夫が映画監督で、『極道の・・・』みたいな映画に出ていたかつてのスタアだ。

 姿を目視した時には、もはや捕まる寸前だったのだが、私の前に別の客がいて、「女」はその客をがっぷり押さえ付けた。すると、その客はその「女」の中に吸収され、消えてしまった。

 それ以降は、私はその「女」を「縞女」と呼ぶことにした。名前が分からぬから、仮称で呼ばざるを得なかったわけだ。

 そいつの恐ろしさを目の当たりにしたので、気配があるとひたすら全力で逃げる。

 毎日がその繰り返しだ。

 

3)旅館のある場所

 何十回と同じ夢を観ているうちに、周囲の状況が少しずつ分かって来る。

 その和風旅館は暗闇の中にあり、縁側廊下に行燈のような灯りが点々と置いてあるから、建物全体が明るい。建物の外は真っ暗で、闇の中にぽっかりとその建物だけが浮かんでいる。一度、外に出る戸を開けたことがあるが、外には何もなく、漆黒の闇がどこまでも続いている。足を踏み出せば、恐らくどこまでも続く暗闇の中に落ちて行く。

 

 「縞女」の歩みは割とゆっくりだから、次第に逃げるタイミングが分かって来た。

 コイツの気配を感じたら、十二㍍以内に近づかれぬ内に遠ざかる必要がある。それより中に入ると、今度はこっちの足が動かなくなるから、容易に捕まってしまうのだ。

 おそらく、「縞女」の周囲は「時間の流れ」が他よりゆっくりなのだろう。

 

 逃げ回っているうちに幾つか気が付いたことがある。

 そのひとつは、旅館の廊下が郷里の実家に似ていることだった。

 私が子供の頃に過ごした家は、二階の廊下の幅が広く、二㍍近くある。

 真っ直ぐな廊下の床の感じが、実家のその廊下にそっくりだった。

 もうひとつは階段だ。廊下を走って逃げるわけだが、一度、背中に手が届きそうな位置まで接近されたことがある。必死で廊下を走るのだが、階下に降りる階段を見付け、それを走り下りた。

 すると、その階段の半ばを過ぎた辺りで、背後の「縞女」が止まった気配があった。

 下まで降りたところで、上を振り返ると、「縞女」が階段の上で私のことを見ていた。

 そこで気が付いたのは、その時、私が立っていたのは、郷里の実家の階段だったのだ。

 郷里の元の実家は、二十年近く前から倉庫になって居り、今は誰も住んでいない。

 人がいないので、埃が溜まり、蜘蛛の巣が張っている。

 その時、私が立っていたのは、幼少期を過ごした実家の記憶ではなく、「今現在の姿」だった。

 私はこの時、自分の魂が実際にあの場所に立っていたのではないかと思っている。

 

4)「ご神体」

 それから半年くらいの間、同じ夢が続き、ある時、謎が解けた。

 母の介護のため、郷里に滞在している時に、その母に言われたのだ。

 「前の家の二階に、お父さんの知り合いから預かった『神さま』(ご神体)があるから、それをその人に返しておいて」

 知人の会社経営者に、「倉庫で預かってくれ」と頼まれた品が二階の奥座敷に置いてあると言う。

 

 その時に気付いたのは、十年来、実家で感じ続けて来た違和感の理由だった。

 今は倉庫なので、不用品を仕舞ってあるのだが、私もその倉庫に自身の集めた古道具屋骨董品を置いて居る。品物の出し入れのため、年に数回ほど実家に入ったのだが、入る度に異様な薄気味悪さを覚えていたのだ。

 私の部屋は二階の南側だが、階段を上がる途中から、どうにも気分が悪くなった。

 「長く暮らした家なのに何故なのか」と不思議に思っていたのだが、その「ご神体」の持つ何らかの力が影響していたわけだ。

 通常であれば、持ち主がきちんと社を建立し祀らねばならないのだが、その知人はそれをせず、「家の中には置けないから」と倉庫スペースに余裕のある父に預けたらしい。

 実にとんでもない話だ。

 こういうことを軽く考え、舐めてかかると、凶事が続く。

 実際に、その事実を何ひとつ知らぬ私でも、何とも言いようのない圧力を感じ、避けるようになっていたのだ。そうなると、「空想や妄想の話」と笑っては済まされない。

 

 そして、もうひとつの謎も何となく分かった。

 「縞女」は「ご神体」に直接関わるものでは無いが、二階の座敷一帯がパワースポットと化しているため、それに引き寄せられたのではないかということだ。

 母に依頼されたので、二階に幾度か上がったのだが、数分で気分が悪くなり、どれがその「ご神体」なのかを探すことすら出来なかった。

 そのうちに母の病状が悪化したので、私は兄にそのことを告げた。

 父が「ご神体」を預かっていることと、母にそれを「持ち主に返せ」と言い付けられていること。そして、私自身が「二階には上がれないので、影響を受けぬ者が下ろして来てくれ」ということだ。

 こういうことは、影響を受けやすい者もいれば、あまり影響を受けぬ者もいる。

 よって、実際に手を出すのは、影響を受け難い者が行う方がよい。

 

5)この世ならぬ異変

 その後、母が亡くなり、私は自分自身の「精神状態」ならぬ「霊魂状態」を整えることに専念している。

 普通の人が見れば、非科学的で迷信もしくは「変な信仰」を持っているように見えるかもしれない。実際、十数年前の私なら、そう思っただろうと思う。

 しかし、持病が悪化し、死期が目の前に迫ると、「普通では無いもの」が、具体的なかたちで目の前に現れる。

 ひとはあくまで「眼で見て、耳で聴く」ものだから、錯覚や判断間違いも多いのだが、しかし、どうにも「説明のつかない」ものがこの世には存在している。

 

 母も生前、深夜、家の中に独りでいるのを恐れていた。

 午前二時三時には必ず目を覚まし、しばらく起きていた。

 母は賢明な人だったので、何故そうなのかを語ることは無かったが、私には分かる。

 要するに、その時間帯になると、母の元を訪れる者がいた、ということだ。

 幽霊が生きている者に接触を図る時期・時間帯はほぼ決まって居り、季節であれば秋から冬、時刻であれば、午前午後とも二時から四時の間だ。

 それ以外はゼロではないが、かなり少なくなる。

 

 今は自身の状態を整えるために、一年に百回以上は神社に行き、五十回以上、お寺の境内に入る。想像や妄想に囚われることもあれば、見間違いをすることもある一方、「縞女」の現れるような悪夢を観る頻度はかなり減った。

 ただ、今の私は確信を持って言えるが、あの「ご神体」は、まだ元の実家の二階にあると見ている。

 こういう性質のものは、引き上げるにも段取りがあるのだが、どうやら兄はそれがうまく行かなかったらしい。

 もちろん、それも直感の話だが、もし残っているのなら、私が処理することになるだろうと思う。今はもう前とは違うから、「縞女」に向き合うことも出来る。

 

6)死後の世界

 「死後、魂はどうなるか」のヒントは、あの和風旅館にある。

 あの建物は、私が持っている郷里の実家のイメージを元に作られている。

 アイテムの一つひとつが私の記憶から生まれたものだろう。

 外の世界は「漆黒の闇」なのだが、あの状態が、器(肉体と頭脳)を失った魂の行く末だろうと思う。

 基本は「まったきの虚無」で暗黒の世界だ。星の無い宇宙空間のような闇を見た瞬間、私は「無間地獄」とはこれだと思った。

 その闇の中で生起するものは、総てひとのイメージがもたらす産物だ。

 生きていた頃の感情や記憶によって個々のイメージが形づくられ、そのイメージによって、世界そのものが形成される。

 すなわち、「死後どうなるか」は「死ぬまでをどう生きたか」によって決まって行く。

 

 死後には天国も地獄もない。それらは自らの心象イメージにより、創り出されるものだった。

 心に闇を抱えた者は、死後もその闇の中に留まる。

 悪意を持つ者は、悪意に満ちた世界の中で存在し続けねばならない。

 元々、その世界には、迷える魂を拾い上げてくれる神は居らず、地獄に誘う悪魔もいない。それらはその魂が自ら創り出す存在、もしくは、呼び寄せる存在だ。