日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎氷柱は無かった

氷柱は無かった
 予定通りに月曜は秩父に行くことにした。
 体調はイマイチだが、寝て起きてばかりでは何も変わらない。
 息子が数年ぶりに一緒に外出するというので、良い機会だ。
 だが、出発すると、すぐにお腹の調子が悪くなった。
 膨満感に始まり、下り始める。数日前からこんな調子だが、病棟には他にも同じ症状の患者がいるから、何か共通の要因があるのかもしれん。

 「小鹿野町までは行けそうにないから、芦ヶ久保にしてくれんか」
 埼玉には三四か所の氷柱の名所があるが、一番近くが芦ヶ久保だ。だが、道の駅に車を入れても、観光客が立ち寄っている気配がない。駐車場がガラガラだ。
 「週末の雨で溶けたんだな」
 思案したが、結局、小鹿野まで行くことにした。
 そこなら、少なくとも温泉には入れる。

 途中で腹が渋り、コンビニやドラッグに寄った。
 「マジでキツい」
 ほぼ水なので、気を許すと流れ出てしまいそう。
 しかも田舎にはコンビニが少ない。
 そもそも今の私には、片道一時間半の行程が困難だった。
 感染症の兆候は見られぬから、食あたり系なのか(?)。

 尾ノ内渓谷に到着したが、ここでも観光客が数人しかいなかった。現況を確かめずに来るそそっかしい者か中国人だけ。
 家人らがひと回りする間に、トイレに二回入った。
 帰路には小鹿荘に立ち寄った。
 六年前に、数々の異変が始まったが、その走りがこの旅館からだった。
 今回はきっちんと名称を記すが、要は「何も起きなかった」ということだ。迷惑がかからない。
 だが、きちんと声は聞こえていて、入浴中に「別の客の話し声」が更衣室の方から聞こえた。
 過去には女の声ばかりだったが、今回は男の声だ。
 だが、そら耳で、気のせいと流せる程度の大きさだった。

 玄関で自分を眺めたが、窓ガラスに「茶色ジャケットの男」を見た。頭が無いが、服装でそれが「かつて訪れたお迎え」の一人だと確信した。
 ま、思い込みかもしれんから、「もうお前のことは見付けているよ。思う通りにはならんからな」と告げた。
 撮影した画像を車で確認したが、やはりジャケットの男と他に女たちが顔を出していた。
 「さすが百三十年の歴史のある旅館だ」と思ったが、帰宅後に画像を確認すると、人影が完全消失していた。
 解釈に困る。消えたのかもしれんし、そもそも気のせいだったのかもしれん。証拠がないと推測すらかなわない。

 あらゆる意味で、今が「人生の底」にあると思う。
 いつ死んでもおかしくないし、経済状態も最悪で、家族それぞれが問題を抱えている。
 一方で、引きこもりの息子が外に出てくれたし、次女も幾らか返事をするようになっている。
 「この一歩は小さい一歩だが、俺と人類には大きな一歩だ」
 誰かの言葉のパクリのようだが、真面目にあの世を研究する者がいないと、当人も人類も前には進めぬと思う。

 「今が底なら、これからは上がる一方だな」
 そう思うことにしたわけだが、ひとつ今回のお土産は「自分はまだしばらく死なぬ気がする」ようになったことだった。
 今回の小鹿野行は「過去を振り返る」契機になったが、小鹿野荘に「行かせたくない」という力が働いていたような気がする。
 四五時間の行程で八回トイレに行ったが、まるで「行かすまい」としていたかのよう。
 帰宅したら、お腹の調子がパッと治った。
 「もし感染症なら、秩父全域にウイルスを撒き散らしたかもしれん」と思ったが、それはなさそうだ。

 ちなみに、悪縁を遠ざける有効な方法のひとつは、「早期に発見して『俺の領域に入って来るな』と警告すること」だ。
 「その線から入っちゃいけねえよ(渥美清さん風に)」と言う。

 「よし。これから今年を昇龍元年と位置付けよう」と思った。
 どんな状況でも再起を心掛ける姿勢が重要だ。

 この日の教訓は「何の変哲もない、ごく普通の一日が実は望ましい一日だ」ということ。