◎病棟日誌「悲喜交々」12/27 好事魔多し
この日は通院日。眼科の検診もあり、朝一番で病棟に入るのに、終わりは三時頃になる。
眼科から戻ると、医師の問診が進んでいた。病棟のあちこちで病状を嘆く声が響く。「もう嫌だ」「疲れた」「死にたい」。
普段は一人くらいだが、この日はあっちからこっちから。
さすがホスピス以上の終末病棟だ。これに断末魔の悲鳴が混じれば一丁上がり。これもたまにある。
ホスピスの場合、時々、回復する患者がいて、いい意味で退院するケースがあるのだが、ここには無い。レアケースで腎臓が回復することも無いわけではないが、三十万人に一人、すなわち年間一人の割合なそうだ。
末期がん患者の方がまだチャンスがある。
それでも、自分の状況を受け入れてしまえば、別に平気になる。生き死には必然のひとつだ。
ま、七時間くらい院内に滞在すると、さすがに疲れる。
月末なので、支払いのため病院からスーパーのCD機に向かった。縦のものを横にして入金する日々だ。今月の支払いが終わるのは来月の十日くらいか(W)。ま、こんなもんだわ。
遅くなったので、処置を間違え、二階の駐車場と一階を三度往復した。専ら階段を使ったが、三度目に上った時に、「あれ?今は難なく階段を上ってら」と気付いた。
何ともないぞ。
ま、体調自体はこの五六年で一番良い。
夜中に原稿も打ち始めて、しかも二時間くらいは平気になった。
「そりゃそうだ。今の俺には観音さまがついているからな」
たぶん、今の当方と握手をすれば、具合が悪いところが治る。
問題は「人間嫌い」の当方が果たして会ってくれるかどうかということだけ。
それくらい調子がよい。
だが、何事も過信は禁物だ。
通院後、バタバタと動き回り、心臓病患者なのに階段を駆け足で上り下り。そして、家に戻った時にテーブルの上にあったワインをぐいっと一杯飲んだ。
この最後のが「線を越える」行為だったらしく、夕食の支度をしている時に、狭心症の症状が出た。
鳩尾がワナワナと震え、重くなる。しゃっくりが止まらない。
脇の下には鈍痛。
ここで止まってくれればよいが、先に進むと心不全に。
ニトロを手元に置かねば。
子どもたちに食事を出すと、すぐに横になったが、そのまま寝入っていた。ま、この場合は意識不明とも言う。
ああ良かった。夜中の十二時過ぎに目覚めることが出来た。
いずれ発症後にそのままあの世に向かうことになるのだろうが、当方は自分が死ぬのは歩道の上だということを知っている。
歩いている時に発症し、数分でサヨウナラ。
家の中で死ぬことはない。
だが、とにかく過信は禁物だ。
体のルール、心のルール、魂のルールはそれぞれ独立した面があるから、うっかり限度を超えるとバランスを崩す。
当方は程なく死ぬ運命ではないが、自ら境界を踏み越えればそれでご破算だ。
通院した時には、体のバランスが崩れる時だから、安静にしている必要がある。
心臓病の鉄則は「しばらくは動かぬこと」だ。心臓の治療、例えば外科手術なりカテーテル治療なりを受けたら、少なくとも三か月は安静に過ごす必要がある。施術直後はそれまでとは打って変わって調子が良くなるのだが、だからと言って、すぐに動き出してはならない。
心臓病患者が死ぬケースは、「術後すぐに動いてしまい心不全を招く」ケースがやたら多い。
叔父も二度目のバイパス手術を受けたら、血流が良くなり、あまりにも調子が良いので、ひと月も経たぬうちに、桃畑を見回りに行った。そしてそこで死んだ。
当方は半年前には酸素を吸引していたが、今は何ともない。
だが、気を付けるべきはこういう時だ。
やはりキーを打つのも一時間程度にしようと思う。
もはや長編を書くのは無理で、せいぜい一万字二万字の短編しか対応できぬのだが、その時々に出来ることをやればいいわけだ。
出来なくなったことを嘆き、鬱屈として暮らすよりはよっぽどまし。
翌日はワクチン接種日になっている。発症翌日で大丈夫か。
狭心症を発症して、床に崩れ落ちる時に、「これでこの世とオサラバなら、割とあっけないな」と思った。人事のしくじりがもとで死に至る。
夜半に目覚めてくれて、本当に良かった。