◎母のご供養(参拝439日目)
台風明けの今日は、母のご供養のために神社に向かった。
晩年の母は、夜中に独りでいるのを嫌い、家に独りの時は親戚の人に来て貰っていた。
お小遣いを渡して、来て貰うのだから、よほどのことだ。
すぐ隣に兄夫婦が住んでいるのに、それではダメだった。
そこで、最後の一年間は、私が半月毎に郷里に帰り、母と共に暮した。
何故、母が夜を嫌ったのかが、その時になり、何となく分かったのだ。
母は夜中の2時になると必ず眼を覚まし、3時過ぎまでは起きていた。
その時間帯には、私は原稿を書いているから、必ず灯りが点いている。
母は私が仕事をする様子を少しく眺め、安心してまた寝室に入った。
「なるほど。俺に起きていることと、まったく同じことが母にも起きていたのだ」
かなり昔から、私は夜中の2時頃に起こされる。
玄関の扉を叩く音が聞こえたり、枕元で「誰か」に立たれるためだ。
母はそういう理由を一切、口にすることが無かった。
「枕元に幽霊が来て、ぶつぶつと何か言う」
こんなことは、他人に話してもおそらく誰一人理解する者はおらず、きっとただ「おかしな人だ」と言われる。
母は旧家の娘でプライドが高かったので、他人にとやかく言われたくなかったのだろう。
かたや息子の私は誰にどう思われようと平気だから、起きたことをそのまま口にする。
他人が理解しないのは、その人が鈍感なせいで、私が変人だからではない。
母は私のことを沢山可愛がってくれたが、それも私が昔からこうだったからだと思う。
「あの母だから、きっと今もこの世に留まり、子や孫のことを見守っていようとするだろう」
亡くなった者がこの世に長居をするのは、あまり良いことではないから、時々、母のためにご供養をすることにした。これは神社でもお寺でも構わない。
宗教は、眼が見えず、耳の聞こえない者にとっての眼鏡であり補聴器だ。脚の不自由な者にとっては杖の役割になる。
あの世のことを知る者には、まったく必要が無い。自分の眼で見て、耳で聞き、脚で歩けばよい。
神殿では、母に向かって、「生きている者は自分たちで考えるから案ずることはないよ。大丈夫だから」と祈念した。
いつも通り、自身の状態をチェックするために写真を撮影したが、それで幾つか分かったことがある。
十月二日の写真では、私の後ろに男性が立っていたが、その場の記憶には無い。
手が触れそうな近くだから、気付きそうなものだが、気配すらなかった。
そもそも、混雑した電車の中で無い限り、赤の他人が背中に寄り添うことは滅多に無い。
画像が割と鮮明なので不思議に思っていたのだが、今日は各所に顔を出していた。
最初の1枚だけ、鞄の紐の掛け方が左右逆だから、たまたま似た服装の人がいたケースも否定できないが、幽霊でもそういう場合がある。
また、小さくカットインしているケースは、実在の人が写ったものとは考えられないから、これらは疑いない。これは、ガラスの前方にすぐ板塀があるから、「遠景では写れない」という単純な理由による。
ところで、いつも思っていたことだが、お寺や神社に犬猫のペットを連れて来る人がいる。このうち犬には扱いに注意が必要だ。
神社の狛犬は一般に犬(動物の)を嫌うし、稲荷なら犬は天敵になる。
そこを敢えて連れ込むのは、明らかに不敬行為になる。
よって、ペット連れで神域に入るのは控えたほうがよい。
ひとつ間違えると、厄を拾って帰ることになる。
今日は神殿の前まで犬を連れて入っていた男性がいたが、画像では、その男性の首に縄が懸けられていた。
こういうのは「重大な警告」だから、絶対にやってはならない。
生きている間には、通常は手を出さないのだが、あまり不敬が続くと、命を縮める。
そして、死んだ後に「祟り」の本番が来る。
「あの世」は、「この世」ほど甘くない。
私自身については、いつも通りで、さしたる影響は無い。
影響が無いのだから、「気のせい」「想像」「妄想」と事実上、同じことだ。
もはや何を見ても、自分ではなくその相手にとって「何が有益なのか」を考えるようになっている。
ちなみに、母の枕元で「誰か」が呟いていたのは、「助けて」という言葉だ。
今は毎夜のように、息子の私が同じものを聞いている。
それに対する答は、「あまり心配するな。俺が慰めてやるから」ということだ。
これでほっとするのか、大半は鎮まる。
先方から私は「常に見える」ようなので、今さら逃げ隠れしても始まらない。
前半は判別が難しいかもしれないが、最後の左眼は誰にでも確認出来ると思う。
かなり気色悪い視線だが、特に他意はなし。死ぬと感情だけの存在になるから、どうしても、こんな感じになってしまう。
見ているのは、専ら私のことなので、まったく影響はなし。