◎ご供養の効果
「あの世」を身近に感じた時には、自分なりのご供養(またはお祓い)を施す。
これは僧職や神職の行うそれとは、少し違う。
一般人がお経や祝詞を唱えたところで、ほとんど何の効果も無いからだ。
お経や祝詞の持つ意味が分からぬのでは、「開け、ゴマ」「アブラカタブラ」と叫ぶのと変わりない。お経、祝詞はその道の者に任せるべきだ。
だが、現実問題として、「あの世の者」と接点が生じた時には、「肩車をして連れ歩く」わけにも行かぬから、遠ざかって貰うことになる。
ちなみに、これまでも幾度か書いて来たが、ここでの「肩車」の意味は、自身の体験による。
初めて上京した際に、S宿東口の改札を出たのだが、階段をドドッと降りてくる人たちに出会った。その際、あるひとりの男性が女性を肩車で担いでいた。
その時は「病気の子どもに街を見せてでもいるのか」みたいなことを考えたが、女性は大人だし、やたら顔色が悪いし・・・。後で考えたが、要するに「生きた人では無かった」ということだ。
ともあれ、一般人にとってのお経や祝詞、真言の類は、ただの気休めで、「ここぞという時には通用しない」ということが分かったので、全部忘れることにした。
その代わりに、「普段使っている言葉で話し掛ける」ように切り替えた。
その時々の状況によって違うが、例えばこうだ。
「あなたは悔しい気持ち、残念な気持ちを抱えているのでしょう。だからそうやってそこに留まっている。でも、もう死んでいるのだから、もはや生前のこだわりは捨て、先に進んでください」
要するに、これは「般若心経」だ。あの短いお経でも二百数十文字あるが、これなら百字以下で済む。
もはや相手(幽霊)の方も、「般若心経」を知らぬ世代?が多いのだから、読経には「念を込める」以外の用途は無い。
そこで、私なりに「お焼香をする」ことと、「お焼香の間、相手に話し掛ける」というご供養方法を設定することにした。
場所的に、火を使うことが出来ないこともあるが、その時は鈴(りん)を鳴らす。
鈴は先方の耳に届く周波数を含むようだ。
お線香一本を焚く間は、割合長いので、その間、生前の母の思い出などを話すことにしている。「親」や「子」の話題はどのような者でも共通の話題になり得るからだ。
さて、画像は、埼玉西部にある宿谷の滝だ。これまで名を伏せて来たが、もはや問題はほとんど無くなったと見て、そのまま記すことにした。
この地を訪れ始めた当初から、あれこれ異変が起きたので、以後は継続的に訪れ、その都度、自分なりのご供養をしていた。
最も分かりやすいのは画像だが、視線(眼)や煙玉がふんだんに写る。煙玉の多くは自然現象なのだが、時々、首を捻るものも混じるし、目も写る。
それよりも緊張させられたのは「声」だ。平日はこの地を訪れる客は少ないのだが、遠くの方から声が聞こえる。家人も聞いていたから、気のせいではないようだ。
もちろん、近くに客がいたこともあったのだろう。
だが、私が聞いていたのは「助けて」という言葉だ。細く微かな声で「助けて」「助けて」と繰り返す。
それを聞いているうちに、何となく、何処か別荘みたいなところで、若い女性が地中に埋められるさまが思い浮かぶ。
まあ、この辺は恐らく「声」を基にした想像や妄想なのだろう。
こういう時の対処法は、「そこにいる」と見なして行動することで、これが最も合理的だ。
そもそも「いない」のであれば、対処をしてもしなくとも問題は生じない。
「いる」のであれば、ご供養をすることで問題が解消される場合がある。
「いる」のに「何もしない」と、問題が大きくなる場合がある。
それなら、「いる」と見なしてご供養をすれば、状況が悪化することは無い。
この滝を訪れる度にご供養を施してきたのだが、異変が止まったのは、ちょうどこの画像の頃だ。人影はおろか煙玉さえ出なくなった。
「それもご供養の成果」だと思いたいが、境目は割とはっきりとしている。
声に出して祈りを捧げる際に、「行き場が見付からぬのであれば、私について来い」と告げるようになってからだ。もちろん、「必ず二㍍は離れていること」という条件付きだ。
よく考えてみると、十年以上続いていた「深夜のノック」が無くなり、「台所の陰に人影が立つ」ようになったのと同じ頃になる。
お寺や神社には、あの世の者の「通り道」が存在することがあり、そこまで連れて行って放せば、あとは自分で流れに乗れると考え、「ついて来い」と伝えたわけだが、離れられずに家までついて来る者がいるわけだ。
これも想像や妄想の域なのだが、納得できる展開ではある。
画像の「人影」が割と鮮明になって来たのだが、数が増えたので、鮮明なものも増えたということかもしれぬ。
ご供養が現実に効果をもたらしているのかどうかは、正直なところ、「皆目分からない」。
だが、自動車を組み立てられずとも、運転してどこかに行くことは出来る。