日刊早坂ノボル新聞

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◎今日の四文字熟語は 「玉▢▢交」

今日の四文字熟語は 「玉▢▢交」

 火曜のエレベーターの出題は「天道虫」の読み方だった。これでは「まんま」だから、少し前に出てまだ使っていないものを取り上げることにした。

 

 この日の出題は「玉▢▢交」だ。

 答えはすぐに分かるが、「何だか少し違う」気がする。その理由は、これを学校で習った時には、最後の文字が「淆」だった記憶があるからだ。

 これは、当用漢字との兼ね合いで「淆という字が無かったので字を充てた」ということだ。

 

 まずは外堀を埋め、新造語から。

玉将絶交」 :今は敵味方なのだから友達じゃない。(玉将は将棋の敵王) 

「玉案復交」 :諍いがあったが、良い解決策が出て交流が再開。

        でも隣国との交流はお断り。

 

 割と難しいのは、頭に「玉」が来る言葉と、後ろに「交」が付く言葉は、あまり無いから。逆配置の言葉の方が多い。

 答えはもちろん、「玉石混交」(「玉石混淆」)

 「よいものとくだらぬものが入り混じっている」みたいな意味になる。

 字面の通りの意味だから、故事を伴わぬと思いきや、存在していた。

 出典は、晋朝 の道教を説いた書である『抱朴子』外編巻32「尚博」。

 この書の著者である「葛洪の言葉」として「眞僞顚倒し、玉石混淆す」という記載がある。これが出典になるようだ。

 

 <原文>

 或貴愛詩賦淺近之細文、忽薄深美富博之子書。

 以磋切之至言爲騃拙、以虚華之小辯爲妍巧、

 眞僞顚倒、玉石混淆。

 

 <現代語訳>

 あるいはまた、詩や賦(韻文)や浅薄で俗な軽い文学を尊重し愛したりして、深みがあって筋が通り、表現が豊かで知識にあふれている諸子百家の書物を軽視して顧ない。

 自分の向上に役立つ、道理にあった言論を、愚かでつたないとみなして、嘘やつくりごとばかりのつまらない弁舌を、精妙なものだとみなし、真実と偽りが逆転していて、玉と石とがごちゃごちゃに混ざった状態だ。

 

 故事はこの辺で止めとかぬと、自分を責め始める(笑)。

 

 ここで我に返り、考えが及ぶのは、「玉とは具体的に何を指すのか?」ということだ。

 教科書知識だと、玉は「硬玉と軟玉の総称で・・・」みたいな話になるが、そんなのは何の役にも立たない。

 普通、ものを指す言葉には、それを示す「具体的な対象」を持っている。

 「芋が食べたい」という時の「芋」は、「サツマイモを焼いたもの」を指すのであって、「ジャガイモやサツマイモ、サトイモ・・・」ではない。さらに、「軽トラックの後部の窯で焼いたサツマイモ」までイメージする者も多い。

 その時の屋台の小父さんが差し出す「焼き芋」の匂いまでもが思い浮かぶようなら、その人はきっと絵なり文章なりで「表現する」のに向いている。

 

 ところで、前に中国人の知人にこの質問をしたことがある。

 「玉ってのは、大体、何の宝石を指すんだよ?」

 知人の答えは「翡翠」だった。

 多くの中国人は、翡翠をお守りとして身に着けているが、その知人もペンダントにしていた。ペラペラで緑色が三分くらいしかないそのペンダントは三万くらいしたそうだ。

 小型の塩せんべいサイズで、素人目には屋台で売られている五百円のアクセサリーと変わらない。

 

 翡翠は緑色だが、緑色の「玉」は、硬玉の翡翠、軟玉の瑪瑙が代表的だ。この他、緑色の「石」は多種多様なものがある。

 ちょっと見ただけでは、素人目では区別がつかず、どれが翡翠で、どれが「ただの石」なのか分からない。

 そうなると、「玉石混淆」は、翡翠瑪瑙に石クズが混じり合った状態のことを指すのだろう。

 「玉」はダイヤモンドやオパールではなく、翡翠

 これで一面的な知識ではなくなる。

 

 翡翠の見分け方で最も簡単なのは、ライトを当てると「光が通る」という性質を利用する方法だ。裏からライトを照射すると、石はあまり光が通らぬのと、内部の気泡が見えたりするのだが、翡翠は全体がぱあっと明るくなる。

 骨董屋の知人に、「※※※ライトを使うと一発で分かるよ」と言われたのだが、それがブラックライトだったか、紫外線、赤外線ライトだったかを忘れてしまった。

 質のよい翡翠は、それ自体が光を放っているように見えるが、これは研磨の仕方にもよるようだ。