






◎歴史の断面 「まさにエイリアン来襲(「ペリ-横浜来港」)」
調子がイマイチなので、夜中じゅう資料調べをしている。
画像は『幕末明治大正 回顧八十年史』より、ペリー来航に関する資料図だ(第二号:昭和八年十一月十五日発行)。
この資料は、米国の使者であるペリーが、横浜に入港してからの様子が事細かに記録されていたが、その図版を集めたものだ。
(出版元はキャプションに「百聞は一見に如かず」と書いているから、図版を重視している。)
当時の日本人が突然のペリー来日に驚き、慌てふためくさまが如実に分かる。文字通りの「エイリアン」だったわけだ。
面白いのは、幕府に接見する前に船員たちがあれこれ見物したりしていることだ。日本側も米国人を驚かそうと相撲を見せたりしている。
お返しに、日本側が艦隊に招かれるが、黒人(当時の表現ママ)の軍楽隊が演奏したり、歌手の独唱を聞かせてもてなしてくれた模様。
歌手は女装しているように見える。ま、海軍の船なので、女性は乗せない。
ペリー来日は、今なら「UFOから宇宙人が出て来て・・・」くらいのノリだったろうと思う(「エイリアン」本来の意味としては正しい)。ま、一応は「異国人が存在する」のを知ってはいただろうが、大半の日本人は実見したことがなかった筈だ。
数日後には、ペリーの要求の高さに、幕府は上を下への大騒ぎになる。
日本では天保の大飢饉以後、断続的に飢饉が起き、とりわけ地方が疲弊していた。そんな背景もあり、そろそろ討幕の動きが具現化してゆく。
ペリー来航が嘉永六年で、幕府の役任に米国大統領からの国書を渡すと、ペリーはさっさと出港したようだ。
なおペリー本人は幕府要人に会ってはいない。書状を渡しただけ。
私は『ラストサムライ』で出たような接見(天皇か将軍への)があったのかと思い込んでいた。
この素材で30ページ前後に渡り、図版の資料で構成されている。
大判でコピ-が取れぬサイズなので、写真撮影した。
注記)表記言い回しは当時のものに従ったもの(これも歴史の一側面)。差別意識はありませんので、念のため。