日刊早坂ノボル新聞

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◎天保期のハイパーインフレ

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天保七福神

天保期のハイパーインフレ

 天保飢饉の頃のことを調べているが、たった1年で札の価値が極端に下がっている。

 ウェブを調べていたら、盛岡藩が発行した銭札の価値がどれだけ変化したかという記載があった。資料出所が書かれていないので、話半分だが、とりあえずこんな具合。

 ◆銭札相場(当時の相場は金1両=銭6800文。米1駄とは牛馬1頭につける荷重を1駄と呼び、標準は36貫=135㌔) 

年月日           金1両に対する両替価格   銭札による米1駄の価格 

天保6.10      正銭6800  銭札6800      5500

天保7.04.05      上同          13000          12500

天保7.07.15      上同     14000          25000

天保7.08.13      上同     22000          60000

天保7.10.21      上同      62000        110000

天保8.01.20      上同      180000      1000000

天保8.01.27      上同      450000     銭札通用禁止

 1年半も経たぬうちに、一両あたり六貫八百文が四百五十貫文まで下がっている。大体66分の1だ。

 例えば、売価1万円のものを買うのに、札で払うなら万札66枚払う必要があったということだ。

 発展途上国で札を大量に発行してそうなるケースがあるが、180年前には同じことが起きていた。

 租税が上がらないが、支払いは否応なしにやって来る。

 そこで換金準備なしに札を発行して支払いに充てたので、こうなった。

 天保七年に幕府が「使用禁止令」を出すのだが、これで盛岡藩は「助かった」と思ったことだろう。幕府が藩に「ケツを拭かずともよい」というお墨付きをくれたからだ。

 

 時々、大塩平八郎一揆に参加している夢を観るが、これが天保八年(1837)のことになる。一揆に参加し、悪徳商人の首を切り落とす内容だから、あまり良い夢ではない。

 悪人の首を切る時に、首をすくめられると、うまく切れず肩口に刀が当たり、下死人(後に言う下手人)を苦しめてしまう。そこで、猿轡を噛ませその先に綱を付け、直前にそれを引くことで、首を伸ばさせるようにした。

 これは首切り担当だった当方が考案したものだ(もちろん、夢の中で)。

 江戸の首切り役人の話で、「名人は首の皮一枚を残して切り、頭を抱え込ませるようにする」という話があるが、そんなのは嘘っぱちだ。人は死を目の前にすると、やはり恐ろしさから身を固め首を縮める。肩が邪魔になり、一刀で断つのは難しいから、「どう切るか」以前に「苦しめずに切る」方が重要となる。

 

 自分でも気づかぬうちに、この辺の時代に近づいていく。

 しかし、あれこれ調べるのに時間がかかるから、生きている間にどれほどのことが出来るのかとゲンナリする。

 かなり若い頃から一つだけに絞っても、本人的には「それほど大したことは出来ていない」と思うのだろう。