日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「盛岡藩 天保七福神札」

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盛岡藩 天保七福神札 (内三十二文欠け)

◎古貨幣迷宮事件簿 「盛岡藩 天保七福神札」

 「七福神札」では「何故・何のために」が見えぬので、「盛岡藩天保七福神札」という呼称が分かりよい。

 数セット持っていたが、「本物が欲しい」と請われるとすぐに提供したので、気が付いたら「三十二文」が足りなくなっていた。

 「本物が」には含意があり、この札には「後刷り札」が沢山ある。

 有名なのは「大迫刷り」で、これは当時の町役場が地域振興のために、本来の版木を使用して刷ったものだ。大迫は盛岡藩の主要な鋳銭地であったから、「お金のふるさと」的な意味づけがあったのだろう。配るか安価に売るかされたので、特に他意は無い。

 だが、「本物の版木が残っており、それを借り受けて本物に近いものを作った」事実は残る。

 これが前例となったのか、大迫同様の「後刷り」はその後も複数回行われたようだ。

 後刷りであるから紙が新しいし、漆墨も青々としているので、当初はそれと分かったのだが、それから数十年が経ち、自然に古びて来た。あるいは、紙を古く見せる技法もあるから、それが使われたかもしれぬ。ま、知識がなくとも、日向に晒して置けば適度に焼ける。

 一時、私は「真贋の見極めはつく」と思っていたが、単なる過信で、今ではまったく自信が無い。版木は本物だし、違いは紙と漆墨だけ。

 

 昭和四十年代まで、この七福神札は存在数が少なく、七種揃えるのが面倒だった。

 値段も小額札で五千円、一二貫文で一万円、最も少ない三百文は三万に近い水準だったが、平成に入ると、ネットオークションなどに急に出物が増え、今では半値に近いのではないか。

 ま、それは昭和の頃にあった札とは違う札の可能性が高い。

 いわゆるファンタジーの域だ。

 この札の本物に近づきたいなら、差し当って、「昭和四十年代にあったものかどうか」を確かめることが必要だ。頼りないが、これが現状だ。

 藩札にせよ、地方判にせよ、本物の版木や極印が残っているケースは割とあり、必ず「それを使って作ってみよう」と考える者が出る。意図は必ずしも悪意によるものとは限らぬが、それが人手に渡ると途端に別の用途で用いられるようになる。

 

 さて、古銭書には記されていない情報を付記する。

 盛岡藩七福神札は天保五年の刷りだが、飢饉が最高潮に達した時期にあたる。

 文政年間から断続的に飢饉が起きていたのだが、これが天保年間に入ると、「毎年」のことになった。

 当時の記録を紐解くと、天保三年には「七月まで雪が降り止まず、九月にはその年の初雪が降った」と書かれている。

  野山に緑は無く、黒か茶色の風景が広がる。虫も鳥も鳴かぬ荒れ地だけ。

 百姓から年貢を取り立てようにも、作物がまったく穫れぬので、侍たちも飢えた。

 種籾すら取り立てられるので、百姓が一揆を起こす。

 そんな状況だった。

 とにかく当座を凌ぐために考えられたのが、この不換手形で「銭とは交換しない」決まりにしてある。藩庁から見ると、「自分たちは使うが、その先は知らぬ」という内容だ。

 実際の使われ方は、市町村誌を紐解くと散見できる。

 西根町誌によると、天保五年に起きた出来事の顛末が書かれている。

 当地の商人の許に、突然、藩の役人がやって来て、蔵に封印をした。

 「このご時世にお前たちは不当な利益を得て好き放題にしている。よって藩が蔵米を買い上げる」 

 その代金として、この札を渡した。(ここまで)

 手形なら「後で払う」ことになるが、この札にはそういう設定は無い。

 「買い上げる」とは体裁が良いが、金に交換してくれぬので、紙くずと同じことだ。

 

 この調子では、食い詰め侍たちの口を満たし、不満をそらすことは可能だが、町人の怒りを誘う。この札の受け取りを拒否する者が続出した。

 これを宥めるため、藩は「質屋は受け取りを拒むことが出来ない」と定めた。

 町人は質屋に殺到したが、このせいで城下の質屋が悉く潰れた、と伝えられる。

 ま、自身の置かれた状況を理解すれば、被害が出る前に質屋はとっとと店を閉める。

 

 結局、この札は一年も経たずして紙くずになった。

 藩はこれを回収し、北上川の河原で焼いた、とされる。

 (具体的なそのひとつが小鷹刑場付近だったと思うが、詳細は失念した。)

 「全部を焼いた」ので、札があまり残っていなかったのだが、平成になると出て来た。これは上に記した通りだ。

 

 低額札(二十六文、三十二文、百文、二百文)は庶民が使用する札なので状態の良いものはほとんど無く、下側を持って立てようとしてもなかなか立たない。

 従前は「下端を持って立つ状態の良いもの」を集めるのがテーマだったが、今ではまったく逆の解釈になった。「きちんと使われており、立たぬもの」の方が自然である。

 状態が良ければ良いほど、「後刷り」の方に近づく。

 

 西欧の古代コインは、レプリカが沢山作られているので、出土したりした出所の証拠が無ければ「土産物」の扱いになる。

 先史時代の土器なども、発見された遺跡や発見日時などを証明するものが無ければ、骨董的な評価はされない。

 この札については、昔のものだという証拠を探すのが容易ではなく、「後刷りよりも前からあった」ことくらいしか材料がない。

 レプリカの所在は、結局、本物の価値を損ねる。

 また、普段、ネットオークションなどで日常的にレプリカを見ていると、本物との区別がつき難くなる。

 競りでものを手に入れるには、最初に「買うか買わぬか」の選択があり、次に「幾らと値段を付けるか」のステップがある。

 その時に、本物がきちんと見えているかどうかは、付け値(言い値)を見れば分かる。要は値踏みひとつで、その人の鑑定眼の程度が知れるということ。

 

注記)一発書き殴りで推敲や校正をしない。不首尾は多々あると思う。