日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 3/2 「患者の宿命」

病棟日誌 悲喜交々 3/2 「患者の宿命」
 画像はこの日の病院めし。ひな祭りの前日で、ちらし寿司が出た。と言っても、食事制限があるから、ほとんど具が無い。
 錦糸卵、椎茸、かんぴょうが少量で、定番の海老とかイクラなどはなし。もちろん、年中行事の香りがするだけで、気分は変わる。

 この日は早朝に郵便局に行く用事があり、早めに病棟に行った。
 まだ治療開始前だったので、ガラモンさんがベッド際に来て、少しく世間話をした。
 話題は先輩患者のNさんのことだ。
 Nさんは今、循環器専門病院にいるが、右足の人差し指と中指を切断したので、ひと月はそっちに入院するらしい。
 健康であれば、普段、足に五本の指があることさえ忘れているのだが、実際には足の小指を少し怪我しただけで、まともに歩けなくなる。
 「指だけで済んだなら、まだ幸運ですよ。ここの病棟の患者は動脈硬化が尋常じゃないくらい早く進むから、足首から、あるいは脛ごと切られるケースも少なくないですから。ここの患者の宿命です」
 私だって、いずれ足を切られる。既に足の壊疽が始まっているわけだし。
 一時の傷は塞がったが、今も激しく痛み、まともには歩けない。見た目は「醜い傷跡」だけなのだが、内部の神経に損傷があるから痛みを感じる。

 ここでふと「足の指は家族と同じ」だと思った。
 長女が嫁に行き、五人家族の一人が去ったが、一人いないとバランスが悪い。家族関係がスムーズに働かなくなり、次女への対応もどこかぎくしゃくする。
 ま、一言で言えば、長女がいなくて寂しい、に変わりがないのだが。

 「調子はどうですか」とガラモンさんに訊く。
 すると、「まったく問題ない」との返事だ。治療後も、そのままどこかに遊びに行けるくらいだと言う。
 「俺はもう治療後は家で寝てますね。何も出来ない」
 眼は見えねえわ、足は腐るわ、腎臓も心臓も悪いわ、生活の七割は「死期を伸ばす」だけに費やされる。
 ガラモンさんは大動脈がバイパスで、心停止を経験したほどだが、それで血流が良くなると、むしろ調子が良くなったらしい。ペースメーカーも入っている。
 ま、よく言われることで、こういう患者のリスクは調子がよいことでリスクを軽視しがちになることだ。やはり心不全患者だから限界がある。調子の良さにかまけてついそれを超えると、即死。
 叔父はそれで亡くなった。

 久しぶりに「心停止クラブ」の仲間と話したので、気が紛れた。
 やはり「同じ運命を背負っている」者はツーカーで意志や意図が通じる。五年も「週に三回、隣で寝てた」からなあ。

 その後、オヤジ看護師のタマちゃんが来て、この日の問診。
 「何か欲しいお薬はありますか」
 「まずは、俺用ではないが新聞などメディアが安定するようなヴィタミン剤だな。皆がいまにも死にそうだよ。俺用には、茶飲み友だち。愛人はもう要らなくなったから、茶飲み友だちでいいや」
 「もちろん、女性ですよね。オヤジじゃダメなんですか」
 「そっちは有料になってます」w。
 「女性は無料なんですか」
 「当たり前ですよ。四十歳くらいの女子なら、食事と山ほどのおべんちゃらがサービスで付きます。かたやオヤジの場合は有料制になってますね。オヤジにつけてやる薬とサービスは無し」
 女性については、とにかく「長所を見付けて褒めちぎる」から、きっといい気分に浸れる。男女問わず、褒められたり可愛がられるのは、若いうちだけ。大人が褒められるのは持ち物についてだけで、その人自身じゃない。要は、大人は魂胆なしに他人を褒めなくなるということ。

 三十歳までは褒められて嬉しく思うわけだが、それを超えたら、自分に辛らつな意見を直接言ってくれる人の方が得難く有難い存在になる。
 誉め言葉には嘘や欺瞞が満ち溢れているが、けなし言葉には、少なくとも本心がある。ま、他者をけなせるのは、情報ソースが間違っていたり、相手のことをよく知らないからという場合も多いわけだが。

 あの煩いジジイは病棟の外れのベッドに移された、とのこと。
 ああ良かった。呪詛をかけて死期を数週間詰めてやる手間が省けた。四歳児の知能しかないのに、耳が遠いので、「とにかく叫ぶ」ようになる。

 だが、そのジジイ一人を特別扱いにするわけにはいかない。齢に関係なく、ここにいる全員の先(余生)は短く、その意味では平等だ。あまり煩いなら、少し焼きを入れてやろうかと思うくらい腹を立てていたので、これは助かった。
 自ら手を出さなくとも、アモンさまに頼めるから誘惑が多い。

 そもそも私は善人ではなく、因果応報をモットーにしている。

 さすがにこのチラシ寿司では物足りぬので、病院の前の総菜屋で太巻きを買った。
 小鹿野のあの子に会いに行きたいが、まだ体調的にそれも出来ない(よく歩けない)。
 あの子のいたベンチに座って、「二人が並んでいる」場面を撮れば、あの世を実感として感じられる者が増える。