◎<三途の川便り(587)> 誰かに見られている
月末の入金日兼支払日。
朝一番で入金を確認し、それを分野別の支払い口座に移し、引き落とす。作業が煩雑だから、空いているイナカ局の方が処理が楽なので、N湖近くのゆうちょに行った。
するとあろうことか、入金されていない。
おいおい。取引が確定して、支払いが半月以上かかるのか?ここの有名企業は、取り立てが細かく一方的なのに、支払いはすごく遅くなる。まさかいちいち手で確認したりしているのか?(ありそうな話だ。)
これじゃあ、落ちない請求が出て来るから、また督促をかけられてしまう。
まったく。当方のせいではなく、この有名企業のせいだよ。
だが、例のアレの影響なのか、今は全般的に入金が遅くなっている。従前の予定日の一週間は後だ。
とりあえず金融機関を出て、N湖を訪れた。
今がどうなっているかを知るためで、とりあえず最も奥のあの地点に向かった。
この地はいつも「声」が聞こえる場所だ。またさらに、下を覗くと、常に複数の視線がこっちを見る。
だが、この日「声」は聞こえなかった。
「なかなか良好だな。これもご供養の賜物か」
一年半くらいの間、月に数度訪れては、お焼香をしていた時期がある。
その成果が出たか。
だが、下を見ると、やはり視線を感じる。
「一体どこからだよ」
目視は難しいから、カメラを取り出したが、あろうことかメモリカードを入れ忘れていた。仕方なくスマホで撮影したが、スマホ画像では画素が粗く、見えるものも見えない。
後で画像を開いてみたが、やはりさしたるしるしは無い。
だが、視線は「水の中から」だということには気が付いた。
なるほど。こっちからは見えずとも、先方は見ているわけだ。
レストハウスで自身を撮影すると、頭が消失していた(よくある)。これで「ついて来た」ことが分かる。
それなら、神社まで行き、そこで放す手だ。後は自分たちで考えろ。
いつもの神社に行き、「ここで降りろ」と告げる。
後に画像を確認したが、さすがにスマホ画像だ。この時期だし、スマホだしと、存在を知るためには、悪条件が重なっている。
だが、一枚だけ、影が写っていた。
この時期で分かるくらいだと、これが十一月十二月なら、かなり鮮明に出ていたと思う。
やはり「女」を従えて来ていたようだ。
これは、いつも「幽界の霧」の中を覗いて見ていないと、違和感に気付かぬ程度のものだから、これが見える人は少ない。もし居ても「俯いている」か「拝んでいる」女性の姿が一つだけだと思う。
最も大事なのは私自身の様子なのだが、白い煙の綱(ロープ)に周囲を囲まれているようだ。
この煙の綱は時々、N湖の傍で見掛ける。
なるほど、「女」たちをこれで引っ張って来ていたのか、と納得した。
思い返せば、最初からサインは出ていたわけだ。
きちんと決まりごとを守れるなら、引き上げてやれる。
この世もあの世も、「段取り」は必要で、当然、そこには決まりごとがある。
それを理解できようができまいが、守れぬ者に救済は来ない。どんなに自身の理屈を述べてもダメ。その解釈はそもそも間違いだ。
さて、徐々に救い上げられる幅が広がっているような気がする。目視出来ずとも、気配が分かるようになった。
ま、障子の影に「誰か」がいれば、姿が見えずともそれと分かる(例え話だ)。
いつも書くが、こういうのは「能力」ではない。視力聴力の個人差と「注意深さ」による。障子に影が映っていれば、やはり「誰か」「何か」がそこにいるということ。
だが、影を見ず「見えぬのだからいない」と言い張る者や、かすかな気配だけで妄想を膨らませ、自身は能力者だと主張する者も居る。大半がこのふた通りだ。
うっすらと自身のお腹に煙だが出ているのだが、これは「女」たちに関連したものであって、私の不調の予兆ではないことを願う。
こういうのは、はっきり見えない方が助かる。中高年の健康診査と同じ。
あちこちが「病気だ」と事細かに出されると、さすがにゲンナリする。
はっきり見えぬことが「有難い」と思える日だった。
俯く「女」は、高いところから落ちて死んだ。その時の姿のままでいるから、鮮明に目視出来なくて幸いだった。もちろん、これは想像や妄想の話だ。