◎<三途の川便り 588> 「顔無し」の確認
前日、「顔だけ消えてしまう」という件があったので、この日も病院の帰りに神社に参拝した。
かつて、「御百度」を目標に始めた参拝だが、あと少しで「六百度」になる。立って歩けぬ状況から、よくここまで来られた。
それも、「(危機の気配を)察知したら、すぐに対処する」という習慣を持っているためだ。
例えば、正面から車が突っ込んで来ているなら、その状況をつぶさに検分している暇はなく、最初にすべきなのは、「その場から離れる」ということだ。ご託を並べるのは、危機を通り越してからの話。あれこれ考えるのは、危機を回避してからでよい。
常に「危機があるかも」、「その時にどう対処するか」を頭に置いているから、こうやって生きていられる。
茅の輪を潜り、カメラに電源を入れようとしたが、ウンともすんとも動かない。
きっちり充電してきたはずなのに。
ま、バッテリーが劣化しているのかもしれんから、車に戻り、三十分ほど充電した。
もう一度、茅の輪潜りからやり直し。
カメラはとりあえず作動し、数枚ほど撮影した。
特に問題なし。
幾らか煙が見ているようだが、鮮明ではなく、ごく普通だった。
あるいは光が反射しただけかもしれぬし、仮に「幽界の霧」だとしても、実体化してもいないから影響はない。
煙玉や白煙はいつも写るし、時にはそれがひとの腕や顔に変化することもあるから、今はまったく正常だと言える。
もちろん、この時期は存在を察知し難いから、警戒は必要だ。
と考えた瞬間、受話器が「チリ」と音を立てた。こっちの受話器は電源のみで、回線を休止してある。「そうだ」ってこと。
ともあれ、N湖周辺なら、繰り返しご供養を施している。
私のことを敵対視しないのは、当たり前だと思う。
今回はよいヒントを得た。幽霊を引き上げるのに、少し気を許すと後ろから覆い被されてしまうわけだが、綱を放り「これに掴まれ」と言えばよいわけだ。
二㍍離れていれば、影響が少ない。
犍陀多を引き上げるには、蜘蛛の糸が妥当なところだ。仏でなくともそれくらいは出来る。