日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎中央を通ってはいけない  (一年前の振り返り)

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令和元年七月三十日撮影

◎中央を通ってはいけない  (一年前の振り返り)

 昨年の七月下旬は、毎日のように異変が起きていた。

 夏場としては珍しいのだが、単にこの時期は検知し難いというだけかもしれぬ。

 前日は例によって「右腕が膨れた」ので、この日も確かめてみることにした。

 神殿前で自分自身を撮り、その場で開いてみたが、特に異変は感じられない。

 「声」もざわざわ感もなし。

 

 帰宅してPCで開いてみたが、右側に人影が見える。

 木々の緑色の影響なのか、少し緑色がかった少年が柱の陰から覗いて見ているようだ。

 自分自身に目を移すと、フラッシュを焚いて撮影する私の後ろに人影が連なっている気配がある。

 はっきりしないが、起きてもおかしくない光景だ。隊列を作るように行進して行く。

 たぶん、手を前の者に掛けているのだろう。

 時々見る光景だ。

 毎日、参拝客が神社を訪れては、神殿で祈りを捧げて行くわけだが、その人の心や念が流れを作っているので、あの世の住人がその流れに乗って移動する。

 これが執着心を解きほぐす結果に結び付けばよいのだが。

 

 神社では概ね道が中央と左右という三つに分けられている。

 そしてどの神社でも、「道の真ん中を通ってはいけない」と言われる。

 中央は「神さまが通る」ところだからだ。

 実際のところは、中央付近で画像に残る姿は神ではなく「あの世の住人たち」だ。隊列を作るように多くの人影が並ぶ。

 おそらく、昔の人はこういう気配を知り、「その流れを遮るな」という意味で「中央を通るな」と戒めたのだろう。

 影響らしい影響はないのだが、流れを遮って邪魔をしない方が良さそうだ。

 

 これ以後はなるべく中央には立たないようになった。

 どうしてもその位置が欲しい時には、「少し場所をお借りします」と断ってからそこに立つ。

 画像に見える女たちの姿は不鮮明だが、視線だけは割とはっきりしている。

 見ているのは専ら私のことだから、他の人には伝わらないと思う。

 何故「見られる」のか、あれこれ理由を考えた。

 「心臓が止まったことがある」

 「既に寿命が終わっている」

 だが、実際のところはまったく分からない。

 「他の人の後ろに立てばいいのに」と思うが、実はどの人も同じ状況なのかもしれん。検知出来ないだけ。