日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎空間が歪む (一年前の振り返り)

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令和二年十一月二十三日撮影

◎空間が歪む

 十一月中旬となり、今や「あの世交流月間」の真っただ中だ。

 昨年の今頃は、外出すると何かしらの異変に遭遇した。

 その最たる一日がこの十一月二十三日だ。

 この日は祝日で、神社の境内が人でごった返していた。

 神殿への階段を上がり、その場でまず最初の一枚目を撮影した。

 掲示の画像がそれだが、以下は同じ画像を拡大したものだ。

 

 中央に参拝客の行列が出来ていたので、少し右側に移動しガラス窓を撮影した。

 なお、ここで撮影するのは、自分自身の状態を確かめるためなので、念のため。

 画面を拡大して行くと、行列の右側にごく小さく私が映る筈なのだが、行列のすぐ横に人影が立っていた。

 背が高く行列の人々から頭一つ以上出ている。

 一瞥では、妖怪のような顔をしたバケモノに見える。

 ま、顔のように見えるのは、実は「手」で、両手で何かを持っているわけだ。

 そうなると、この場にそぐわしいのは「私」で、私の取っていたポーズにそっくりだった。

 

 しかし、不自然な点もある。

 私は二十㍍以上後方にいるから、他の人々より小さく映るのが普通だ。

 ガラス映像なので、歪み等で拡大される場合があるが、位置関係の同じものは同じ基準になる筈だ。

 行列の人々がそのままで、私だけが拡大されているのはおかしい。

 それに加え、この私のような人影は、カメラを持っている筈なのだが、両手を下の方に下げているようにも見える。そもそも私は長いコートに見えるような服を着ておらず、ジャンパー一枚だった。

 そもそも、立ち位置がまるで違う。

 まるで空間が歪んでいるかのような現象だ。

 

 これに類する現象を体験したのは、「お迎え」に会った時のことだ。二人組の「この世の者ならぬ男たち」が前に立つと、その二人の周囲の景色がぐねぐねと歪んで見えた。まるで小波が立っているかのようだった。

 こういうのは、この世とあの世が繋がる時の兆候のひとつなのかもしれん。

 

 さて、この時から一年が経ち、この時のことを振り返って思うのは、あの背の高い「何か」はやっぱり「私」だったのではないかということだ。

 生身の私ではなく、私の「本性」や「魂」のようなものが映っていたのではないのか。

 あの世での「私」は、秩序を重んじる側に属し、例えていうなら「帝国軍」サイドだ。外見は悪縁(霊)そのもので、黒い服を着て怖ろしい姿かたちをしている。

 自身の死後は三十二歳くらいの姿に戻り、世界中を見て回りたいと思っていたが、どうやら、巨大な「女の死神」に変わって行くのかもしれん。

 

 この週は異変続きで、女の悪縁(霊)の姿があちこちで写っていた。

 あの女たちは私を見ていたのに、何も働き掛けては来なかった。

 たぶん、私が自分たちの仲間だと思っていたのではなかろうか。

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十一月二十三日中に撮影したあの世画像

 自身があの世との橋渡し(使者)であるなら、人間に対し、天罰を与える指示を出せる。人間の心は醜いから、躊躇なく罰を与えられる。

 

 ある国で民主化を叫んだ女性指導者は、いざ実権を掌握すると、「私が法の上に立つ」と宣言し、少数民族の迫害を許容した。典型的な「共和国軍」(あくまで例えの表現)で、すなわち欺瞞の塊だ。