◎茅の輪を潜って怒りを払う(640)の続き
肉体が外殻だとすると、内皮が知識や心だ。その中に本性である魂があるわけだが、死線に近づくごとに、外側から中に向かって崩れて来る。そして、次第に本性がむき出しになって行くのだが、自分を含め、ひとの本性は本質的に「悪」だと思う。
死線に近づき、そこから生き返るごとに、怨霊に近くなって行く。
(「悪縁」は「悪霊」や「怨霊」を柔らかく表現したものだ。)
追加画像は、過去に幽霊が沢山写った日(令和二年十一月二十三日)の最初の画像だ。遠くから撮影したのに、私と思しき人影は行列の真横に立っている。おまけに、身長がやたら高く、二メートル近い勘定になる。
この姿はまるで黒いコートを着た女だ。バケモノのような風体だが、私が死ねばこの姿になると思う。
私はカメラを掲げているのだが、腰の左右にも手が添えられている。
おそらく背後にぴったりとついている者がいたので、外見が変わったのだろう。
「自分がしでかしたことの責任は自分自身が取るべき」というのは、ひとつの正義だ。
アモンらの立場は誤りではないと思う。ただ、あの世には、この世で言う「個人」の境界が薄いから、正義を行使するための理屈はかなり違う。