日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「アモンとの出会い」の補足事項

その②の拡大画像

◎「アモンとの出会い」の補足事項

 画像の「その2拡大イ」では、私の左に「女」が立っていた模様。これまで気付かなかったが、この女も「常連さん」だ。

 私が「イリス」と呼んでいる女の悪縁たちの仲間のようだ。

 時々、あちこちに顔を出す「レギュラーメンバー」の一人(あるいは一体)だ。

 

 ひと度、煙の中に「影」が見え始めると、どんどん見えるようになる。

 この女は顔の表情が割とはっきり出ている。

 

 ひとつでも結構しんどいのに、入れ替わり立ち代わり、二年くらいずつ「見張り」がついている。まるで当番があり、交替で行っているかのよう。

 それでも、人間はどんな事にも次第に慣れてしまい、何とも思わなくなる。

 

 従前は「自分の後ろを数十万の亡者がついて来る」と言う夢を幾度となく観ていた。単なる夢ではなく、何かしらの現実が背景にあったようだ。

 なるべくなら、悪縁サイドでなく、「妙見さん」のような求道者になりたいのだが、時々、怒りに心を支配されてしまう。ま、アモンらが近くにいるから当たり前だ。

 肉体の殻で隠していても、人間の本性は欲まみれの醜い姿をしているから、アモンらはそれを正そうとしている一面もある。

 

 あの世の者でも 外見の印象と、心中で起きていることは、かなり違う。

 ただ、生きている者は「皮一枚」で醜悪な心根を隠すことが出来るが、あの世の者は本音が表に現れ、隠し通すことが出来ない。

 

 私の「旅」は今後も続くうえ、それは死んだ後も終わらない。

 ため息が出る。ほとほとウンザリ。

 通常であれば、死ぬことでリセットされる部分があり、過去の人生の記憶や拘束を一旦解除できる。

 素質や人格の組み立てを再構築できるわけだが、私には死後も持ち越す部分が多いと思う。 

 

追記)一件訂正。幾度経験しても、どうしても慣れぬことがひとつある。

 それは「気がついたら、車の後部座席に誰かが乗っている」状態だ。

 タクシー怪談などでは、普通に腰掛けていてくれるわけだが、本物の場合、十五㌢後か脇に、相手の顔がある。

 両手はハンドルを握っており、無防備な状態だから、一層気色悪い。