日刊早坂ノボル新聞

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◎どうやって目を開かせるのか

どうやって目を開かせるのか

 不慮の事故・事件で亡くなると、「自身の死を予期していなかった」ことが原因で、長く「トンネル」の中に留まるようだ。

 この場合の「トンネル」は比喩的な表現で、実際には天地四方の先がまったく見えぬほどの暗闇だ。自分自身の状態すら確認出来ぬので、ただそのままじっとしている。

 思考が停止したままだから、当人は時間の経過がまるで分からない。

 これが、死の直前のことを思い出したり、遠くに針の孔ほどの光を見付けたりして、ようやく我に返る。

 気が付くまでに十数年、概ね十三年から十五年掛かることが多い。

 

 所沢に住んでいる時に、家人がたまたま道で女性と知り合った。ベビーカーを押す母親同士だったから話をするようになるきっかけが多い。

 知り合ってから半年後くらいに、その女性が殺される事件があった。

 女性には夫と、また別に彼氏がいたのだが、その彼氏に「いずれ結婚する」とそそのかし、多額のお金を引っ張っていたらしい。

 実際には女性はダンナと離婚する気はサラサラなく、彼氏のことは「金づる」としか思っていなかったようだ。

 嘘のある関係はいずれ破綻するわけだが、やはり「痴情のもつれ」から、彼氏が女性の首を絞めて殺した。

 隣の部屋では女性の子らが遊んでいたらしい。

 

 ダンナさんは、奥さんに浮気された挙句、その愛人に奥さんを殺されまでしたから、それこそ堪まったものではなかっただろうが、僧侶を呼んでひとまず最低限の供養を施した。 

自宅の一室だし、事件が事件だから、参列者は誰もいなかったようだ。

 家人は「多少なりとも知り合いだったから」と言って、法事の後に家を訪問した。傍で見ていて、ダンナさんはほとほと困っていた。こちらも、言葉をかけようがないので、終始無言だった。

 ことお気の毒な話だ。

 

 だが、お骨を前にして手を合わせても、死者の気配がまったく無い。通常は法事の際には、そこここに気配があるものだが、それが一切ない。命に生じた変化の痕跡が消えているわけだ。

 長らく考えさせられたが、あれはおそらく「暗闇の中」に居るからだと思う。

 その後、何年もの間、闇の中でひたすらじっとしている。

 

 病死など普通の死に方をすると、割と早くその闇を抜け出ることとが出来、その先は「死出の山路(峠)」に向かうなり、「三途の川」を渡るなりして、先に進む。

 前者は悪縁や怨霊になる道筋で、後者は成仏(魂の寛解)に向かう。

 この場合、「山路(峠)」と「川」は象徴的な表現なので念のため。人によって見え方が違うが、そんな心象を与えるもののことだ。

 

 大切なのは、死者が目覚めようとする時に、遺族なり友だちがきちんと心を込めてご供養をして、背中を押してあげることだ。

 「あなたはもう亡くなったのだから、こだわりを捨て、安らかに眠るといいよ」と声を掛けることが大切だ。

 十数年も経てば、生き残った側は思い出が薄れて来ている頃だから、ご供養もおざなりになりやすい。

 時々、仏壇の前で故人の思い出を語るなどしていれば、目覚めを無難に迎えるのに役に立つ。

 

 自我が目覚めた時に、かつての怒りや恨みを思い出し、さらにそれを癒す術がなかったりすると、かつて人だった者の魂は多く悪縁になる。

 そういう幽霊は、当てもなく徘徊しては、恨み言を伝える。

 それしかやれなくなっているからだ。

 

 こういう事態を避けるためには、日頃から「生と死」をよく考える習慣を持つことが大切だ。よく観察し、自分の死後にどうすればよいかを繰返し心に刻むことで、その場に立った時に状況を判断出来るようになる。

 

 文中の女性には息子が二人いたが、いずれも祖父母のところに引き取られたと聞く。子どもについては当人もさぞ心残りだったことだろう。

 殺人現場の建物は、数年後に建て替えられたのだが、女性と子どもたちとの接点は、その場所だけだから、女性は今もそこに留まっているのではないかと思う。

 何故自分がそこに居るのかすらも、分かってはいまい。