◎コレクション道あれこれ(2) 煙草のパッケージ
Kさんに会ったのは、街のリーチ雀荘でだった。
Kさんは日本の頭脳中枢であるT大を出て、旧専売公社の研究所で研究員として働いていた。
子どもが五人で、何ら人生に問題なし。
ところが、Kさん自身に問題があった。
Kさんは無類の「博打好き」で、リーチ雀荘に入り浸りだったのだ。
酒も好きだったから、夜になると、居酒屋かリーチ雀荘に行けば、必ず座っていた。
頭は良いから、打ち筋は頭脳派で、理に適った麻雀を打った。
ところが、押し引きが下手で、頃合いを見切れない。勝っても負けても「止め時」があるのに、それを越して続けるから、結局、負けてしまう。
自意識が高いから、「自分ならやれる」と思うわけだが、それが少しでも度を超すと、博打は勝てない。「所詮、勝負事は勝ったり負けたり」と見切る必要がある。
どの博打も競馬と同じで、テラ銭を差っ引かれるから、客全体では必ずマイナスになる。長く回数を打てば打つほど、「客の全体像」に近くなって行くわけだ。
「技巧派」自体、「楽しんで打っている」ことの表れだから、性質の悪い博打打ちから見れば、「美味しいお客さん」だ。
Kさんが店に顔を出すと、皆が喜んで迎えてくれるようになる。
そのKさんが、突然、私の事務所を訪れて、「これを買ってくれませんか」と言う。
よほどタネ銭に困ったのだろう。
中身は自分が仕事上の資料として持っていた煙草のラベルだった。
サンプルだから未包装で、かつ海外向け(免税店用)のものが結構含まれていたから、「面白い」と思い、言い値で買った。
売買取引の最初の回は、「相手をソコソコ儲けさせる」のが基本だ。
相手に「この人との取引では儲けられる」と思わせるためだ。
それを頭に入れさせてしまえば、相手は次も持って来る。
世間では、買う度に値切る人もいるわけだが、「コイツはそういうヤツ」と思われてしまうと、値引き分を想定し、売値自体が高くなる。それ以前に、質の高い品は別の人に持って行く。縁が切れてしまうのだ。
最初はともかく、幾度か付き合ううちに、良い取引が混じるようになる。
ネットでコインの会のHPを開いた時は、週末になると必ずこういう人が訪れていた時期がある。「買い入れます」と広告を出したら、毎日段ボールで4、5個ずつ届いたのだが、正直に買っていたら、それが倉庫ひとつ分になった。
1年か2年の間に買い取った品を処分するのに、20年はかかったと思う。
このパッケージも割と高値だったのだが、「さらに品物を持って来させよう」と思い、黙って金を払った。しかし、Kさんはこれが精一杯だったらしく、次に来た時には「話」だけだった。
今見ると、美術的に優れたものも結構あるから、欲しい人はいるのではないかと思う。未包装券は内部の者でなくては入手出来ない。
博打好きのKさんは、家族から見放され、洗濯もして貰えなかったのか、いつも薄汚れた格好をしていた。ホームレスのような風体だったから、誰もこのオヤジがT大卒の上場企業(当時は公社)の研究員だとは思わなかっただろう。
あれから数十年が経ち、Kさんはどうしていることやら。
博打打はえてして短命だから、今はこの世にはいないような気がする。