日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第702夜 復活式

◎夢の話 第702夜 復活式
 30日の午前2時半に観た夢です。途中から「扉を叩く音」に移ります。

 我に返ると、俺はどこか大広間の中に立っていた。
 広い会場で、40短擁?呂△襦ホテルの一番大きな宴会場くらいの広さだ。
 中央に何か祭壇が見えるが、何の祭壇なのかが分からない。
 何かの式典があるらしいが、何の式なのか。
 
 ここで俺が自分の手足を見ると、黒い上下を身に着けていた。
 礼服だな。
 周囲に人が30人くらい居るが、男はやはり礼服だ。女は白い洋服かドレス。
 そんなにきっちりした式でもないらしい。
 ハレとケなら、ハレの方だろう。

 横を向くと、すぐ傍に叔母が立っていた。隣には従妹もいる。
 俺が挨拶をする前に、叔母の方から声を掛けて来た。
 「大丈夫なの?」
 体調の話だ。俺が叔父とまったく同じ経過を辿っているせいか、叔母はいつも気遣ってくれる。
 「ええ。全然平気です。この調子なら百歳までも生きられそうな感じですね」
 俺はものを書く時はネガティブなのだが、直接話す時はまるっきり別人だ。
 ま、法螺吹きだし、嘘も吐く。話を膨らませるのが仕事だもの。
 当たり前だな。それが俺の使命だ。
 「伯母ちゃんが帰って来ることになって、良かったね」
 叔母の言う「伯母ちゃん」とは、俺の母のことだ。となると、これは母のための式なのか。
 でも、「帰って来る」とはどういうこと?
 母は今年の3月に死んだばかりなのに。

 ここで従妹が話に加わる。
 「始まるみたいだよ。行きましょう」
 3人で中央の祭壇に歩み寄った。
 すると、祭壇の中央に横になっていたのは、やはり母だった。
 母は沢山の花に埋もれるように眠っていた。
 (これは、葬式の時の姿だよな。)
 母の顔が白い。

 祭壇の脇に黒い服を着た神父のような男が立っていて、何かを唱え始める。
 周囲には何時の間にか人が増えていて、百五十人くらいの礼服が祭壇を向いていた。
 蝋燭が何本も立っていて、灯りがゆらゆらと揺れている。
 
 1分も経たぬうちに、叔母が呟くように言った。
 「あ。伯母ちゃんが帰って来る」
 皆が一斉に祭壇に近寄った。
 花の合間に覗く母の顔に、ほんの少し赤味が差して来るのが見える。
 「良かったね」「おめでとう」
 母が僅かに身動ぎをすると、従妹が俺に囁いた。
 「手を握ってあげると、すぐに目が覚めるよ」
 俺は母の脇に立ち、母の右手の甲に手を当てた。
 母が亡くなった時、俺は1時間くらい母の手を握っていた。
 母の手は柔らかくて、到底、亡くなっているとは思えぬ感触だった。
 その時と少し違うのは、母の肌が少しずつ暖かくなって来たことだ。

 「お袋が帰って来るんだな」
 なるほど。今日のこの式は復活式だったんだな。
 俺は納得し、母が目を開けるのを待った。
 あとほんの少し待てば、母は目覚める。

 ここで「ピンポーン」とチャイムの音が響いて、俺は目を覚ました。
 ここまでが夢の話だ。
 俺の話はまだ続く。
 
 目が覚めると、俺は居間のテレビの前で横になっていた。
 震災の時から、居間の床の上で眠るのが習慣になっている。四季を通じて、その位置で寝ているのだ。元々が不規則な暮らしをしているから、昼夜何時寝られるか分からない。気がついたらそこで寝ていた、という状況が続いている。
 体を起こし、今の状況を見極める。
 今のは本当にチャイムが鳴ったのか。それとも俺の頭の中だけに響いていたのか。
 「ま、母に会いたいという俺の願望がこんな夢を観させたんだろうな。チャイムだって、俺の脳が作り出したもんだろ」
 少しく納得しかけたが、すぐに居間と客間の間の襖が開いた。
 受験勉強を始めてから、息子は専らそこを自分の部屋にしていたが、その息子が顔を出したのだ。
 「起きていたのか?」
 息子が首を振る。
 今まで眠ってたのが、夢を観るか、「別の理由で」目を覚ましたのだ。
 「それも、俺が目を覚ましたのと、まったく同じタイミングで、だ」

 なるほど。これで確信が持てる。
 いつも半ば疑っているところがあったが、やはり俺の第六感は本物らしい。
 母か、母に似た誰か、または何かが、実際にすぐそこまで来ていたということだ。
 たまに、息子も父親と同じものを聴くことがあるのだが、この日は、たぶん、同じような夢を観て、同じチャイムを聴いたのだろう。
 「こういう感覚は遺伝するからな。でも、心配するな。今のは悪い報せじゃないから」
 先ほどの夢は「死者が蘇る」話なのだが、怖ろしさは微塵も感じなかった。
 もちろん、身近な者のことだから、当たり前のことではある。

 俺がいつも抱えている「怖れ」の中核は、「自分自身が見聞きしているのが総て妄想で、脳がおかしくなっているのかもしれない」ということだ。たぶん、いくらかはその通りで、これは体が衰弱しつつあるから。
 死期の迫った者は必ず妄想や幻覚を観る。
 しかし、自分が観ているものの6割から7割は本物だと思う。

 そのことには、良いことも悪いこともある。
 折りを見て、息子には「何が起きているのか」を話す必要がありそうだ。
 なぜ悪夢を観るのか。なぜ誰もいないところに人の気配があるのか。
 そこでどう振舞わねばならないか。
 「心配するな。受け止めればいいんだよ。お前のは本物だもの」
 この父親には誰も教えてくれる人がいなかったから、自分の状況を理解するのに何十年もかかった。
 だが息子にはこの父親がいるので、たぶん、分かりが早い。
 こういうところは良い点だ。
 実際、直感があったから、今まで生き延びられたところもある。うまく利用すれば、色んなことに応用できる。
 
 悪いこともある。
 今のこの感覚が本物なら、本当に俺は「そろそろヤバい」ということだ。
 そして、俺を「お迎え」に来るのは、かつて俺の前に現われた、あの恐ろしい表情をした『死の国』の住人ではなく、母の姿をした者だろうと思う。