日刊早坂ノボル新聞

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◎腎不全が治る人もいる

腎不全が治る人もいる

 ひと度、腎臓が悪くなると、もはや治ることは無い。血液のろ過機能だけの単純な器官のようでいて、実際はホルモンなど分泌物を出している。

 腎不全になると、足の悪い人に杖が必要なように、手助けが無くてはひとりでは立てなくなる。

 

 ところが、数万、数十万に一人くらいの割合で、腎不全が治り、機能が回復する人もいる。

 「何万に一人」の割合だから、もはや宝くじの域だ。

 

 そのレアケースを実際に見た。

 ひと月前から、当方の向かいのベッドは、八十歳くらいの女性患者が入っている。(その前に二人のジーサンがいたが、入院病棟か棺桶に消えた。)

 この女性患者は、ほぼ車椅子生活を送っている。

 いつもぼーっとしているが、割合、頭がはっきりしているようで、看護師が話し掛けると、きちんと答える。

 昨日、この患者のところに医師が来て、説得めいた口調で話すのが聞こえた。

 この患者は、元々、週三回透析だったのだが、ひと月くらい前から二回になった。(この時点で、向かいのベッドに来た。)

 月に数度検査をするが、もう透析の要らない状態になっている。

 「この状態なら、もう病院には来なくていいんですよ」

 そう医師が伝えていたわけだ。

 

 周囲の患者はおそらく「こんなラッキーな人もいるわけだ」と思ったに違いない。週三回の半日通院から解放されれば、その時間を別のことに使える。

 (私ならきっと泣いて喜ぶ。)

 周囲は治療が必要なばかりか、体がもたず、どんどん死んでゆく有り様だ。半年前にいた患者の半分はどこかに行った。

 しかし、その女性患者は、医師に「嫌です」と答えた。

 えええええ。

 「もう病院に来なくて良い」と言われているのに?

 

 でも、すぐにその意味が分かった。

 たぶん、その患者が家にいても「ひとりぼっち」ということではないか。

 ダンナは死んでおり、今は車椅子生活で、他の家族の負担になる存在だ。

 だが、病院に来ると、看護師や医師があれこれ面倒を見てくれる。声をかけ、世話をしてくれる。

 この患者にとって、社会との繋がりが「病院」だった、ということだ。