日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「小さい老人」の検証(579)

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令和三年五月四日撮影

◎「小さい老人」の検証(579

 四日は通院日。連休は関係無く、生きて行くためには治療が必要だ。

 原稿を叩くキーの動きが乗りに乗っていた時なので、これを中断するのは痛い。

 中断すると、また最初からやり直しになる。

 師長が傍に来たので、「三日でいいから集中できる環境があれば助かる」と愚痴を零した。

 

 そこでふと気が付く。

 頭に浮かんだのは、一昨日のあの「小さい老人」のことだ。

 「俺に明日は来ない。もはや棺桶に両足を揃えて入った状態だ。それなら、世間体とか、他人にどう思われるかなどどうでもいい話だ」

 ま、十年以上前に行き着いた話だ。

 私が偏屈で、人付き合いをしないのは、「もはや人生の幕を下ろすべき時が来ている」と思っているからだ。

 

 そこにいつも話をするオバサン看護師が通り掛かったので、呼び止めて聞いた。

 「最近、ここの患者で亡くなった人はいますか?小柄な男性だけど」

 死ぬと、肉体を持たぬ存在になるから、身長は頼りにならないが、とりあえずそう訊ねた。

 「イリス」の中核とも言うべき「女」などは、大体、二㍍くらいの背丈がある。普通の人くらいの時もあるから、心持ちによって変わるか、「変えられる」ということだ。

 

 「死」の質問は病院ではタブーなのだが、そこは気心の知れた相手だ。あっさり教えてくれた。

「昨日、別の曜日の患者さんですが、一人亡くなっています」

 だが、プロフィールはだいぶ違うようだ。

 あの「小さい老人」は職人か農家風だった。

 心中で、「ああ、良かった。それなら、俺が祈願した患者ではなさそうだ」と胸を撫で下ろす。

 しかし、よく考えると、あのミイラ患者が亡くなったのは先週の話だ。

 病棟全体なら、ひと月に数人は亡くなっている。

 

 すると、看護師は何やら気配を感じたらしい。

 私の質問の意図を訊ねて来た。

 日頃、私が口頭で「あの世」の話をすることは無い。

 だが、この看護師は、N湖の近くに住んでいる。

 N湖周辺に通ってご供養を続けていたことで接点が生じ、この女性は私が抱えているテーマについてある程度承知していた。

 「写真を撮ったら、たぶん、最近亡くなった人が写ったようなので、それが誰かを確かめているんですよ」

 「怖い写真ですか?」

 「全然。あの世が怖ろしいわけではなく、怖ろしいのは人の心ですよ」

 すると、その看護師が「もし写真に写るなら、三年前に亡くなった母に会ってみたい」というので、「条件が合えば写せるかもしれんので、いずれ撮影してあげます」と伝えた。

 毎日、仏壇に手を合わせていれば、そのうちチャンスが来るかもしれない。

 「でも、姿を現すのは想いが残っているということでもあるから、しるしも気配も無くなっている方がよいのです」

 

 この日の治療を終え病院を出たのだが、そこで思い立ち、神社に向かうことにした。

 「今日のことは今日のうちに括る」ためだ。

 ある程度、「逆説の棄却」をしておくと、今後の迷いが無くなる。

 

 神殿では、他の参拝客の背丈と立ち位置を観察させて貰った。

 結論は、「あの老人は五歳児以下の背丈だった」ことに疑いは無い。

 あとは、「身長120㌢の老人がたまたまそこにいた」かどうかだけ。

 ま、九分九厘は「いなかった」だ。

 それが私に関わる者ではなく、「通りすがり」だったということなら、特に問題は無い。

 

 ついでに、自分自身についても観察したが、お腹に「黒玉」が出ていたようだ。

 実際、その周辺に痛みがあるので、それが反映されたか、あるいは・・・。