◎「小さい老人」はどこから来たのか(578)
この日は連休中の日曜で、お寺も神社も混雑するのだが、あえて参詣参拝することにした。先日のあの患者が無難にあの世に進んでくれることを祈願するためだ。
ま、先に進めぬ場合は、私の近くに寄れば問題ない。もちろん、「二㍍以上離れていること」という条件付きだ。
この日は線量計を車に置いたままだったので、これも持参することにした。
「あの世」現象については光を歪めることの外に、電磁波に「揺れ」が生じさせるという特徴がある。私はさらに加えて、「放射線量にも変動が生じる」と見ている。
ある地でたまたま異変を検知した出来事をきっかけに、以後も継続してそのことを調べるようになった。
具体的には、このような経験からだ。
原発事故以来、東北各地の線量を監視している。沿岸部、内陸部を問わず、所用で岩手に向かう時には、なるべく高速を使わず、一般道路を行き来していた。
その間、線量計はずっと点けっ放しだ。こうすると、線量が上がると警告音で教えてくれる。
どの地点でどれくらいの線量が計測されるのかを知るためなので、もちろん、あまり検知されぬ地点の情報も重要だ。
数年前に、北奥地方のある場所を通過した時に、急に線量計がマックスの警告音を発した。「ビーーーーーー」という鋭い音だ。
計器を見ると、1.5μSv/h付近だから、帰還困難区域の境界に近い値になる。
だが、原発から遠く離れた場所で、汚染された塵芥が風に流されたとは考え難い。
吹き溜まりでは、短期的にその水準に達することがあるのだが、その線も薄い。
何故なら、そこは「トンネルの中」だったからだ。
停止する場所でもないから、「焼却灰を運んだ途中で停止した」という要因も考え難い。
計器が鳴っていた時間も僅かで、距離で言えば数十㍍の間しかない。
念のため、帰路に同じトンネルを通ったのだが、その時はほとんど異常が出なかった。
後で調べてみると、そのトンネルは割と有名な「スポット」で、「幽霊に追い駆けられた」という体験談が幾つか知られていた。
「じゃあ、もしかすると、あの時、俺の車の後を何かがもの凄い勢いで取りすがっていたのかもしれん」
怪談めいた話だが、もちろん、「後をついて来る」こと自体は特別なことではないから、関心の対象は「線量との関係」になる。
もし、「光」「電磁波」「放射線量」との関係が実証できれば、幽霊は「物理的な存在だが、知覚し難いだけ」ということの裏付けになるからだ。
そのことで、「幽霊は存在しない」とする科学者もどきや、あるいはまったく逆の主張をする宗教家・霊能者など妄想家を悉く一網打尽に出来る。
前置きが長くなったが、時折、そういう目的で線量計を持ち出すことがある。
ま、いつも車に積んでおり、点けっ放しにしているから、どこがどういう線量で、どういう変動があるかは経験値を得ている。
1)神社の駐車場で車から降りた時 0.02~0.03μSv/h (画像無)
2)参道の途中 0.04 μSv/h(画像有)
3)神殿に上がったところ 0.06 μSv/h (画像有)
4)神殿前 0.06 μSv/h (画像有)
5)賽銭箱の前 0.07 μSv/h (画像無)
6)帰路の駐車場 0.04 μSv/h (画像無)
左手に線量計、右手にカメラを構えた状態なので、瞬時の対応が難しい。
ここで言えることは何か。
これを読む皆さんは、何ひとつ判断出来ない筈だ。何故なら、皆さんは生活のどの局面でどういう放射線を浴びているか、計測したことが無いからだ。
私には次のことが言える。
イ)線量の数値については、誤差の範囲。「どれくらい違う」と言えるほどの根拠は無い。
電子機器の影響による相違でも、これくらいの変化は生じる。
同じ駐車場の同じ来る車の前で、事前には0.02~0.03μSv/hだったが、帰路には0.04μSv/h。この違いは、「線量測定器とカメラの近さ」による。
何千回も計測していれば、こんなことは瞬時に判断出来る。
ロ)だが、神殿に近づくに従って、何らかの変異が生じている。
これまで十年近くに及ぶ経験で言えば、「あの世的な異変と言う意味では、さしたることは起きていない」と予測出来る。
ましてや、この時期だ。
すなわち、幾度も書く通り、「桜の咲く時期から、梅雨の頃まではさしたる異変が起きない」筈なのだ。
だが、「あの世(幽界)」は、まだはるかに奥が深い。
線量にのみ気を取られていたので、途中ではほとんど気が回らなかったのだが、画像を開いてみると、不審な点が幾つかあった。
画像番号では④になるが、私は右端に「女」が立っていると思う。
左右の腕が割と鮮明に見えており、髪の毛の先も出ている。顔と脚が無いように見えたが、脚を少し開いて立っていたようだ。
(これが「そこにいる」と思える人は、これまでの反応では、たぶん、二三割だ。)
私にとって、衝撃的だったのは、⑤の画像だ。
左端に、小柄な老人の姿が見えるが、帽子を被ったこの老人を、私はこの境内では一度も見ていない。
鳥居を潜った時から出る時まで、帽子を被った人は一人もいなかったのだ。
(この辺、今では探偵かスパイ並みに周囲の人数や特徴を記憶出来るようになっている。)
あまりにもクリアなので、画像を開いた時に、思わず「おいおい」と声に出してしまった。
「前の女性と体がくっつく位置に立っている」
「頭と体のバランスから、子どもではなく老人」
さらに、「賽銭箱の高さから見て、身長が120㌢から130㌢の間」であることが分かる。
この世には、「身長が120㌢の男性は存在する」と思うが、境内の中を歩いている時に果たして見逃すことがあるかどうか。
「たまたまそこにいた」という偶然があるかどうか。
ここで質問だ。
「皆さんはこれまで身長が120㌢くらいの人に会ったことがありますか?」
ちなみに、私は「ある」。バンコク(タイ)の路上で黄色い袈裟姿のお坊さんが、お布施を集めているところを実験したことがある 。
恐らく「小人症」だと思うが、そのお坊さんは背丈が五十㌢くらいに見えた。
胡坐を組んでいたが、前に置かれた丼(お布施用)が膝より上の高さにあった。
今の段階での結論は控えるが、もし「あの世」関連の件であれば、またいずれあの老人にもお目に掛かれると思う。
同じ画像の右側には、要素(素材)が沢山あり過ぎて、収拾がつかぬほどだ。
「私に関連したもの」、「手前の女性客に関連したもの」「④の画像右の女の人影に関連したもの」が錯綜しており、解釈がややこしい。
ただひとつ、実際にその場にいた者(私)として言えることは、「横向きの眼」の持ち主が、④の画像の右側に立っていた「女」であることだ。
やはり先方からは、私のことが見えるようだ。
その理由も簡単で、私の周りには「煙玉が舞っている」ことによる。
この日、神社に参拝した目的とは関係なく、バタバタと状況が変化した。
今日の結論は、「また新しい幽霊に見つかった」ということだ。
ま、そういう状況にも、もはや慣れた。
ちなみに、「ここは何だか薄気味悪い」と感じる場所では、1.0μSv/hくらいに上がることがあるようだ。
ただ、今の段階では単なる「個人的経験」に過ぎない。
これを実証するには、三人くらいのスタッフが必要になる。
内訳は線量計測担当一人と、撮影担当が通常撮影と赤外線撮影の二人ということになる。
この時期にしては、あれこれ悩まされる一日だった。
あの爺さんは、あの世の者にしては、やや鮮明過ぎるから、逆に戸惑ってしまう。
「実写なのに半透明」なら、疑念を生じさせる理由が無くなる。
ある意味、「あの世ウォッチング」的には贅沢な悩みではある。
追記1)たった今、ドキッとしたのは、「まさかあの患者だったりして」ということだ。あの患者とは、つい先日、アモンに祈願した老人のことだ。
あのジーサンもかなり小柄だったが、もしこれがあのジ-サンなら総てが繋がる。
すなわち、「苦痛からは解放された」、「それに私が関わったことを知っている」(もしくは「私がここまで連れて来た」)ということだ。
なるほど、「亡くなったばかり」だから鮮明で、かつ「お礼を言っている」ということなのだろう。
どうやら、また自分が「一段上がった」と思う。あるいは「あの世に近くなった」ということ。
これほど鮮明な画像が撮れるようになるなら、いよいよ実証に近付ける。
もちろん、現段階では「やたら小柄な老人が脇からするすると列に割って入った」ことを完全には否定しない。
いずれまた姿を現すだろうから、性急に結論付けることは無い。
追記2)神殿に近づく毎に線量が変わることの要因は、「多くの人が祈願する」ことの影響ではないかと思う。これはこの後も継続して実証を試みる。