日刊早坂ノボル新聞

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◎四回目のワクチンの日の出来事

令和四年八月二十九日撮影

四回目のワクチンの日の出来事

 四回目をファイザー限定にしたら、予約が入ったのはひと月後だった。でもま、前回のモデルナでは肺症状の引き金になったから、副反応の少ない方にするのが無難だ。

 市内の「知らん名前の病院」に行くと、ふた昔前くらいの個人クリニックだった。医師が一人で、看護師が2人、事務員が1人の人員でやっている。

 待合室は十人くらいしか入れぬのだが、すごく混雑していた。

 廊下にも椅子が出ていたので、そっちに座る人もいた。

 建物のつくりも「まさに昭和」で、四五十年は経っている。

 父親が開業医で、その後を息子が継いだ、みたいな。

 今の医師も六十台の後半だ。

 

 懐かしいので、帰りしなにクリニックの入り口を撮影した。

 「子どもの頃に、風邪を引いてこんなクリニックに連れて行かれたよな」

 しかし、当家の親(父)はスパルタで、子どもが39度くらいの熱を出しても病院には行かなかった。40度で初めて診察して貰い、解熱剤を貰った。

 高校生くらいまでは、「40度を超えるまでは大したことはない」と本気で思っていた(笑)。

 39度までは学校に行ったが、あれは周りの生徒は迷惑だったろう。インフルなら、盛んに感染させる盛りの時だもの、私から貰ったヤツもいたに違いない。

 40度超で病院に行き、そこで学校を休んでも良いことになった。そんな時の定番として、父はあんみつにアイスクリームを乗せたスイーツを作り子どもに食べさせた。

 私はそれが嬉しくて・・・、なわけがない。40度だもの、何も喉を通らない。あんみつにアイスは父の好物なのだが、発熱の時に幾度もそれを見たので、私はそいつが半端なく嫌いになった。

 フルーツポンチみたいなものを食べるヤツの気が知れん。

 それを通り越して、「コイツだけは許せねえ」みたいな気分になって来る。子ども体験は後々まで響く。

 

 玄関を撮影しつつそんなことを考えたが、さっきその画像を開いてみると、入り口のガラス戸に私自身が映っていた。

 「不用意にこういうアングルで撮るのはまずいよな」

 ま、やはり確認せずにはおれない。

 確認すると思った通りだった。事前に「やめろよ」と前置きするのを忘れると、今の私は自分一人だけでは映れぬようになっている。

 分かりにくいだろうから、指摘するのはやめて置く。

 

 駐車場は道の反対側だった。

 「この近くに稲荷がある筈だが」

 稲荷は私にとって相性の悪い相手だから、不用意に近づいてはならない。

 見渡すと小道があるが、すぐ近くではなさそうだ。

 「ああ良かった」とパチリと撮ると、同時に何となく向こう側から四人くらいがこっちを見ている気がする。こういうのは単純に直感の話だ。

 画像を拡大してみると、やはり視線があった。

 着物を着た女の人を左右から黒い影が押さえつけているのだが、その黒い影は私に向かって「こっちに来るな」と言っている。私の存在が分かるらしい。

 ちなみに、人間があの世の者をうまく認知できぬように、あの世の者も多く人間を認識出来ない。だから、双方気が変にならずに暮らしていられる。

 

 木の葉を遮るように影が立っているから、注意深い人は「おかしい」と感じる筈だ。

 こういうのは見ぬ方がよいので、具体的な指摘はやめとく。

 いよいよあの世が近くなり、向こう側の者の方が生きている人より身近に感じる。

 他の人ならあっさりスルーするだろうに、私だけ「常に障りを考えなくてはならない」のは、正直不公平だと思う。

 他の人間にも大なり小なり「因果」を教えるか、あるいはこんな風に私を威嚇して来るヤツを次々に滅ぼして着物の女性のような存在を解放してやるか。この先の対処法は二つに一つだと思う。

 怒りを抱えたままで死ぬと、すぐに悪霊に化けてしまうのだが、今のところ私は「悪霊になる」コースに乗っている。二者択一なら前者だ。

 いずれ誰彼構わず罰を当ててやるぞよ。

 

 ちょっと嫌な感じがしたのは、「鋏を持つ老婆」が首をかき切ろうとしている男が、「サングラスで薄毛」だったことだ。

 「今の俺に似ている」と思ったわけだが、私の分身ではないようだ。仮にこういう悪意が自分に対し向けられた場合は、すぐに対処する必要がある。

 調べてはいないが、側道の先に何があるのかは想像がつく。左手の奥の敷地のどこかに小さな石の祠があると思う。

 

 普段「あの世」を身近に感じぬ人でも、こういう地点の近くを通ると、少しざわっとする筈だ。

 そういう時には、すぐにその場を離れた方が良い。

 たかを括って舐めてかかると、後ろをついて来る。

 いずれも家に持ち帰ったらダメなやつだ。

 自分の家に入る前に「ここからは俺の家だからお前は中に入るな」ときつく言えばよい。

 小手先のお祓いなど考えると、逆に障りを招くから、基本は対話で処理した方が良い。

 

 以下は翌日の話になる。

 たった一日で、「横向きの男」が崩れており、その代わりに「女」が向き直りつつある。

 注意を払うと、それが先方にも伝わるらしい。

 こちらが気付かず、ろくに見ずにスルーすると、先方もこっちの存在に気付かないようだ。

 「影響の無い人にはまったく影響が生じない」と言われるのは、そういう意味だ。

 

 白線の上を歩く時に、「道路に引かれたライン」だと思えば平気で先に進めるが、それが「ビルの間に渡された綱」だと思えば、上を渡るのは容易なことではない。

 気付かぬ方が良いこともある。