◎夢の話 第1101夜 女が泣く
八日の午前三時に観た夢とその周辺について。
我に返ると、ホテルの五階くらいの高さのテラスに居た。
テーブルの上にはカクテルがあり、隣には女性が座っている。
外を見下ろすと、四十㍍離れた埠頭にマーライオンの像が見える。
「ここはシンガポールだな」
ここですぐに気付く。
「それならこれは夢だ。こないだ観た夢の続きに違いない」
シンガポールには幾度か行ったが、若い女性と一緒だったことは無い。旅行は一人でした方が発見が多い。
それに、マーライオンは埠頭の先の方にあるから、こんな風に像を見下ろせる位置にホテルは無い。ホテルは少なくとも像から数百㍍は離れている。
「あーあ。せっかくきれいな女性と一緒なのに」
この時、部屋の中から音が聞こえ始めた。
「くううん。くううん」
子犬の泣くような声だ。
ホテルの部屋に子犬がいるとは思えんが。
あるいは赤ん坊か。
しかし、夢の中とはいえ、まだセックスもしていないのに、「既に赤ん坊がいる」設定とは思えん。
「ふううん。ふうううん」
ここで気付く。
「こりゃ、犬でも赤ちゃんでもなく、女の泣き声だ」
ここで覚醒。
始まりはここから。
眼が覚めると、当方は居間のテレビの前で寝ていた。
コロナの時からこのが常宿となり、冬でも寝袋に入ってこの位置で寝るようになった。
経営者時代には長椅子で寝ていたが、結局、まともに布団やベッドの上で寝たことがほとんどない。
「ベッドで死ねると思うなよ」と言うのは定番の脅し文句だが、当方の場合は、最初から寝床では寝ていない。
眼が覚めたが、しかし、泣き声は続いていた。
「こりゃ一体どこからだ?」
もしや娘が何か哀しいことがあって泣いているのではないか。
心配になり天井方向に聞き耳を立てた。
次女は一年前に家に戻って来たが、何か辛いことを抱えているのは分かる。何かしら人間トラブルがあったから転職したわけだが、ほとんど口を利かなくなった。
だが、声は娘ではなかった。
耳を澄ませて聞いてみると、女の鳴き声が「自分の体の中」から聞こえていたからだ。
なあるほど。駅で拾って来たヤツだな。
場所はT駅で、コイツはホームに立っていた。
コイツが死んだのは五六年前で、それからずっとそこにぼおっと立っていた。
その女の感覚が今はそれまで当方の意識に入り混じっているから、その時の状況がよく分かる。
女はただぼおっと立っていたが、何か「わやわや」と人の声がした。それまでほとんど眠っていたような状態だったが、それで眼が覚め、その人声について来た。
その「人声をわやわやと発していた」というのが当方だった。
当方はいつも行く先々で「声を掛けられる」というのを散々経験して来たが、あれは、実際には、当方の側から声を掛けていたから、それを感じ取って、その声に応答して来たのだった。
ま、当方の周りには常時十から二十を超える「あの世の住人」がムカデ行列のように後ろに連なっている。
そいつらが口々に自分の心情を話すので、それが傍にいた者の耳に届いてしまう。大勢がいるから、そこに向かって「助けて」と叫ぶ。そういう流れだった。
金曜日に病院に行った際に、道を歩くのにも苦労したが、これなら足が異様に重くなったのも当たり前だった。
足を進めるのに、いちいち意思の力が必要なほど重くなっていた。
その「女」は、当方が歩き去ろうとするので、右脚の太腿の辺りにしがみついたのだった。
ちなみに、今は体を這い上がって来て、左の二の腕に掴まっている。
先ほど、まずは娘の部屋に行き、お神酒を供えた。
悩み事を抱えた者には、あの世の住人が寄り憑きやすいから、娘に近づかぬようにする必要がある。
「俺はともかく、娘には寄り憑くなよ」
こういう時には、祝詞も真言も要らず、ただ人に対するのと同じように「きちんと話す」方がよい。
次に自分の部屋に戻り、同じようにお神酒を供えた。
「俺が慰めてやるから、いずれ納得したら行くべき場所に向かえ。生きている者に悪さはするなよ」
こういう相手は「溺れる人」と同じで、ただ助かりたい一心で誰彼なくしがみつく。
往々にして溺れ死ぬのはしがみつかれた方になる。
双方が苦しまぬ間合いを取るのが難しい。
駅はほとほとウンザリ。こういうのが頻繁に起きるから、どこに行くにも車を使うようになった。
「スポット」の定番は、廃病院など、いかにも「曰くありげな場所」になっているが、当方的には「バアアカ言ってろ」だ。
駅の雑踏の中が一番の「スポット」だと思う。人間じゃないのが混じっているし、ホームには常時数体が立っている。
自分の「思い」だけの存在だから、それがいるとは認知し難い。