◎失われた一年
18日日曜は久しぶりに片道一時間ちょっとのところに遠出した。一月以降は体調の悪化に苦しんでいたから、遠出などしていない。よって、ほぼ一年ぶりではないかと思う。
十一月に稲荷の神域にたまたま足を踏み入れたのを起点に、「障り」の波状攻撃を受けた。最後の襲来が七月だったが、そこから徐々に持ち直して、少しずつましになって来た。
もちろん、そこは障害者なりに、と言う範囲だ。
帰路は夜になっていたが、急に「屋台のラーメン」が食べたくなった。コロナ以前は街道筋に屋台が立っていたものだが、コロナの時に壊滅。今はほとんど見かけない。
そこで、かつて通りすがりに車溜まりで屋台を見た箇所を通ることにし、旧街道沿いに帰ることにした。
だが、やはりそういったポイントには灯りが無かった。
高速に乗り最寄りの出口を降りたが、やはりラーメンが食べたい。そこで、もはや九時過ぎだから、街の反対側の深夜営業をしている店まで行った。
注文したのは、普通の醤油ラーメンと焼き餃子だ。
「こういう時には、やっぱり昔ながらの中華そばだよな」と思ったのだ。
ラーメンは持病有りの者には塩分過多なので、普段でも「数か月に一度」程度の制限があるのだが、何せほぼ一年くらい食べていない。
味は最高だった。奇をてらわぬ直球の味だ。
ラーメン一杯で、これほど感動するのは珍しい。
「俺は一年を棒に振ったが、まだ生きている」
ラーメンを食って、「美味い」と思えるところまでは回復した。この先の時間がどれほど残されているのかは分からんが、自分なりに人事を尽くそうと思った。
ちなみに、待ち時間があったので、中途原稿を取り出して読み返したが、頭を抱えるほどの悪文だった。才能なし。
だが、自分なりに手をつくし継続出来ればそれでよい。
この一年は、机に三十分も座っていられず、原稿を手に取ることもなかったのだった。
「障り」から脱するのは激戦の連続だったから、そっちの意味では、昨年とは「もはや別次元」の域に入ったと思う。
出来ることや見取るものが格段に増え、精度が増した。
たぶん、幾人かは救える。