日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「ちょっとおかしい人」の改善に向けて ─能仁寺でご供養(614)─

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令和三年十月二十八日撮影

◎「ちょっとおかしい人」の改善に向けて ─能仁寺でご供養(614)─

 世間的に見れば、今の私は疑いなく「ちょっとおかしい人」の域だ。

 だが、もちろん、当人には現実として降りかかっているから、その対処に追われているということだ。

 

 この日は通院日で、昼過ぎまで病棟のベッドで横になっていた。

 映画を観ていたが、何故かぽろぽろと涙がこぼれる。

 ちなみに、映画自体はアクション物で、感動を与えるようなものではない。

 女の声で「助けて下さい」と言われているような気がする。

 「こないだの秩父のは、疑いなく男だったよな。それもオヤジジイ」

 だが、その前は、ここで拾ったバーサンだし。

 

 ま、細かいことは気にするな。

 「助けて」と言うのなら、お寺に行ってご供養しよう。

 最近のお気に入りは、飯能の能仁寺だから、そこに行くことにした。

 少し博物館にも寄ったが、そのすぐ傍なので、歩いて寺に向かう。

 参詣の客が割と訪れていた。

 

 本堂の正面でお焼香をした後、お不動さまに向かう。

 「煩わしくて堪らんので、全部引き取って貰えませんか。いちいち付き合っていられるほど暇ではないのです」

 わたしゃ人事で忙しいのよ。

 

 帰路にはいつもの神社にも寄った。

 神殿の前で撮影したが、何故か画像が数枚しか残っておらず、十枚以上が保存されていなかった。

 となると、「まだ続く」ってことだ。

 この日は急遽出掛け、携帯していたのがコンパクトカメラだったせいもあり、総ての画像が不鮮明だった。

 

 帰宅して夕食の支度をすると、疲労のため居間で寝入ってしまった。

 夢を観ていたが、夜中の十二時頃になり、何番目かの夢を中断するように、居間のドアが「バッターアン」と壁に当たるほど強く開いた。

 この時は、家人や息子と居間で何か話をしている夢を観ていたと思うが、その夢の中でも、家人が「あ。何か来た」と驚いた。

 大きな音がしたので眼を開いたが、眼を開いた後も夢が続いていたと見え、居間の入り口に見知らぬオヤジジイが立っていた。

 半透明で、半ば煙に包まれている。

 オヤジジイは何やら「あれがこれでドーシタコーシタ」とはっきりしない声で話し続けた。

 さすがに常軌を逸している。

 

 「これは果たして夢なのか。あるいは現実に人ではない者が立っているのか」

 隣の部屋には息子がいて、まだ起きていた。そっちを見ると、何事もなくスマホを見ているので、「自分にしか見えず、聞こえない」ことが分かった。

 おいおい。これでは正真正銘の「ちょっとおかしい人」じゃないか。死期の迫った老人の振る舞いだ。(実際にそうかもしれんのだが。)

 

 この世の者でもあの世の者でも、対処の仕方は同じ。人間に対するのと同じやり方で接するのが一番早い。

 「おい。ここは俺の家だよ。勝手に入って来てぶつぶつ言いやがって。お前は何様だよ。ここから出て行け」

 ここは「自分のテリトリー」だから、自分勝手な振る舞いをするな。そう分からせるのが正しい対処法だ。

 テリトリー意識は、この世もあの世も共通だから、それをかざすと精神的に優位に立つ。

 「お前は一体何だって言うんだ。ちょっとこっちに来い」

 立ち上がって、居間のドアのところに歩み寄り、廊下に出る。

 「ここは俺の家だ!」

 この時には、もうオヤジジイの姿はない。

 

 相手にものを告げる時には、それが人でも幽霊でも妄想でも、「はっきりと声に出して言う」のが原則だ。頭の中で幾ら念じても、何も変わらない。

 このため、目覚めてからの言葉は実際に口に出して言っていた。

 息子は父親の話を全部聞いていた筈だが、「寝ぼけている」と思ったか、あるいは「この親父はちょっとおかしい」と思ったか(笑)。

 だが、コツを思い出した。

 家の中に悪縁が入って来て、ゴトゴトと騒ぐ時には、「ここから出て行け」と追い出すだけでよいのだった。何故なら、この家はそいつのものではなく、「俺のテリトリー内」ということだ。

 

 ちなみに、今回はしっかりと瞼を開けていたのに、眼で見ているものが夢の続きだった。もちろん、あの音の大きさでは、ただの夢ではないことが確かだ。