◎扉を叩く音 (番外編)「破魔のアイテム」
「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きになる。
十年以上、この現象が続いたが、この一二年で「玄関の中に入る」ようになったから、状況は少し変わっている。
四月二十三日の記録。
夕方七時に台所に立っていると、久々にカウンターの陰に「人の気配」があった。
これは時々、「人影」になり、手足の先や髪が目視できることがある。
私の周りには常時、「何か」がいるので、それが具体的なかたちを示すのは、居間の照明と台所の灯りが交錯することの効果だろうと思われる。
多くは視界の端に「人の一部」が見えるだけなのだが、この日は違う。
すぐ隣に立たれたのだ。
一メートルくらい横に「何か」が立っているのが、微かに見える。
だが、コンマ二秒くらいの間だから、「気のせいかもしれん」と考え、居間に移動した。
それから数分後、台所で「カシャカシャ」という音が響く。
ちょうど立ち上がった時だったので、カウンターの向こうに眼を向けると、台所の灯りの下に女の後頭部が見えた。中腰で冷蔵庫の方を向いている。
台所の扉が開いていたから、一瞬、「気付かぬうちに家人が飲み物を取りに来ていたのだな」と見なし、二歩前に出ると、台所には誰もいなかった。
ここで、先ほどの「隣に立たれた」気配と「後頭部」が繋がった。
「何か」がいるのは確実だ。
そして、その相手が「線を踏み越えた」のは明らかだ。
ちなみに、日頃より「ついて来ても良いが、二㍍以内には近づかぬこと。そこから中に入れば切り捨てる」と宣言している。
抱き付かれると、体調を崩したりするので、「通り道」までは連れて行くが、「勘違いをして俺に寄り掛かるなよ」という意味だ。
そこですぐに台所に走り、出刃包丁を取り出して、周囲の空気を縦横に切った。
これは「九字切り」の要領だ。
この時、「ご神刀」は二階に置いて来ていたから、咄嗟に出刃を使用したが、「線を踏み越えた」のを許してはならないので、これは致し方ない。
(ここは第三者には見られたくない場面だ。状況を知らぬ人、もしくは理解できない人がこれを見れば、疑いなく「異常者」に見えることだろう。)
良からぬ気配はすぐに去った。
出刃の効力はどれほどなのかは分からぬが、咄嗟の対応としては間違ってはいないと思う。詐欺師や恐喝範と同様に、一ミリも相手の言い分を認めてはならない。
線を出たら叩き潰すだけ。出ない限りは、こちらは何もしない。
居間に戻り、暫し考えさせられた。
「症状はどんどん酷くなって行くが、これはあの世が近くなっているせいだ。だが、幾らかでも退き伸ばすために、心身と魂を整える必要があるだろうな。それにそれを助けるための道具も必要だ」
「ご神刀」はもの凄く使い勝手が良い。神棚に上げ、毎日、供え物をして祈祷しているが、それだけでいざと言う時に、邪なものを遠ざけてくれる。瞬時にピタッと収められるのは助かる。たぶん、今のように刀や小刀(作業用)ではなく、小さい剣のようなものなら専用の道具として使える。
次は「水晶」だ。昔の人には「知恵がある」と感じるのは、「電磁波」という知識がまるでなかったのに「水晶には何か力がある」ことを知っていた。
いわゆる心霊現象が起きる時には、光、電磁波、放射線に微量だが影響が生じる。
水晶は電磁波を曲げるので(確か)、寄り付かれそうになった時の抵抗力になるのかもしれぬ。
これを携帯するには、ペンダントにするか勾玉のように穴を開けると便利だ。
他には「鏡」だろう。小さい手鏡でも十分に使える。
「鏡」は幽霊が嫌うもののひとつだから、怖がりな人は鏡を身に着け、怖気が生じたら、それを掲げるとよい。
ホラー映画や小説には「鏡の中に魔物がいる」みたいな話があるが、ウソッパチだ。
逆にその「魔」の方が鏡を怖れる。陰謀論的には、先方が「鏡を使わせまい」と考えるから、作り話の恐怖を植え込んでいると考えても良い。
ガラス製では割れてしまうことがあるから、ここは昔の金属聖の掌に入るようなサイズのものがあれば形態に便利だ。
そこまで考えたところで、ふと気づく。
「剣、勾玉、鏡」ならまさに神器だ。
昔の人は「あの世」のことを知り、神と交流したり、間に障壁を作るために、これらを用いたわけだ。こういうのは生活の中で、経験の蓄積があって生まれたものなのだろう。
あの女の後頭部を、他の人にも是非見せてやりたいものだ。
「この世ならぬ者」は現実に存在し、生きているうちに、しかも健康で何ひとつ問題の無いうちに準備を始める必要がある。
老病死は必然で、誰でもそこに向かうのだが、その途中で気付き、慌てて神仏を拝み始めてももう遅い。それは「信じる」ことではなく「願望」にすぎぬからだ。
破魔に役立つアイテムだからと「物」を集めても、それはどこまで行ってもただの「物」だ。それが効力を発するには、信仰や信念に裏付けられることが必要だ。
備考)ちなみに、ここ最近、体調がイマイチで、便秘と下痢を繰り返したり、背中や腰が理由なく痛んだのだが、「ご神刀切り」一発でスッキリ治った。
そこで初めてあの「女」が手の届く位置にいたことの影響だったことを悟った。
ま、すぐまた寄り付くだろうから、その都度対処することになる。
普通の人には、こういう障りは滅多に無いのだが、私は昔から敏感だ。
稲荷神社の鳥居の前に立っただけで眩暈がする。中に入ると、もはや立っていられぬほどだ。
私と同じ悩みを抱える人は、対処の仕方を覚えると、悩み事が少し軽減されると思う。その証拠は、これこの通り、「まだ私が立って歩いている」ということ。
もちろん、病気は医療で治すのが基本だ。
冒頭で記した通り、「心身と魂」のいずれかだけを重んじると、真実から遠ざかる。
何事にもバランス感覚が必要になる。
追記)後で気付いたが、あの「カシャ」「カシャ」と響く音は、玄関の扉がノックされる前後に鳴る音と同じだ。これは意味のある情報だ。
「近くに来ている」というサインが分かれば、「先手を打てる」ということだ。