日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎女の子が笑う

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令和二年九月十六日撮影

◎女の子が笑う

 今日は心底より驚かされた。

 家人が早くに帰り、「ショッピングモールに行きたい」と言うので、※オンに連れて行った。

 ダンナの方は用事が無いから、車で待つことにした。

 駐車スペースに車を入れたが、左右の車には誰も乗っていなかった。

やはり買い物に行っているわけだ。

 家人を待つ間、動画でも観ていようと考え、エアコンを止め、外の空気で涼むことにした。運転席の窓ガラスをキーっと下げると、ほとんど同時に右隣の車の窓に人の顔が映った。

 当初は私の顔かと思ったのだが、こっちを見ていたのは十歳くらいの女の子だ。

 女児は私にニコニコと笑いかけ、右手を小さく振った。

 

 「え。誰もいないと思ったが」

 今流行の「親が子どもを車に放置して・・・」みたいなことが頭を過ぎる。

 だが、よく見ると、隣の車の中に人は居らず、ガラスに映る当方の「横に」顔が映っていた。

 「げげげ。こりゃ不味い。人間じゃないじゃんか」

 思わず窓ガラスを上げたが、窓が閉まると女児の顔が見えなくなった。

 

 心の準備が無く、少なからず驚いたが、数秒すると、最初の驚きが収まった。そこで、もう一度窓ガラスを下ろした。

 「今、撮影すると、きちんと画像に残るかもしれん」と思ったのだ。

 意表を突かれたので、少し慌てたが、「幽霊から私が見える」ことは既に分かっている。

 それなら、別段驚くようなことでもない。

 ただ、デジカメもスマホも持参していなかったので、家人のスマホで撮影した。

 

 その間、数分が経過したから、タイミングを外したようだ。画像には白い煙のような手の先のようなものが若干写っただけで、女児の姿は無かった。

 これでは、私の「想像や妄想」、「気のせい」と変わりない。

 家人が車に戻って来たところで、「さっき、幽霊を見た」と告げ、画像を私宛に送って貰った。

 

 しかし、返す返すも「驚かされたのは当然だ」と思う。

 女児は私に向かってほほ笑んだだけでなく、手を振っていたのだ。

 神殿の前で見る幽霊は、いずれもこちらには無関心だし、私を見付けて近寄って来るヤツは、概ね「助けて」と告げる。「笑顔で手を振った」のは、この子が初めてだ。

 加えて、いつも書くが、「幽霊が笑うと、表情がいっそう気色悪い」のだ。

 

 冷静になってから考え直すと、その場では慌てていたので、写真の撮り方を間違えていたようだ。

 いずれの画像にもスマホを持つ私の両手が映っているが、これは隣の車のガラスに映し出されたものだ。

 女児は私の手と同じように映っていたのだから、「その子は隣の車の中にいたのではなく、私の車の助手席に座っていた」のだった。

 スマホは反対側に向けねばならなかったわけだ。

 

 考えようによっては、「私がその子を連れていた」と言うことを意味する。

いっそう気色悪い事態なのだが、もはや例年通り「秋」が始まっており、常時、「誰か」(もしくは「何か」)が傍に立っている。

 先ほど、シャワーを使ったが、浴室の外に人影が立っているので、「こういう時は止めてくれ。気が散るだろ」とかなり強めに言った。

 ダメ元で口にしてみたのだが、案外、伝わるらしく、黒い影が見えなくなった。

 

 追記)なるほど。家人のスマホは「自撮り向き」方向だったのに、私の後頭部(首から上)がどこにも写っていない。

 人影の端が見えるような気もするが、私が見た女児ではない。こちらは「気のせい」だろう。

 と思ったら、どうやら「笑顔の女児」に抱き付かれていたようだ。

 それで、私の頭が消えてしまったと思われる。

 しかし、こんなにワヤワヤと寄って来るのか。ため息が出る。