日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎そこにいる筈のない人影  (一年前の振り返り)

f:id:seiichiconan:20200808160641j:plain
f:id:seiichiconan:20200808160629j:plain
f:id:seiichiconan:20200808160619j:plain
f:id:seiichiconan:20200808160608j:plain
令和元年九月八日撮影

◎そこにいる筈のない人影  (一年前の振り返り)

 画像は昨年の九月八日に撮影したものだ。

 この日は、家人と二人で外出し、ある施設に立ち寄った。

 施設の前で、家人を撮り、何気なく自分自身のガラス映像を撮影した。

 神社では必ず撮影しているが、ここは宗教施設ではないし、さしたることも起きまい。

そう考えたのだ。

 

 ところが、最初の一枚から早速、不審なものが現れた。

 一枚目は「顔」だ。

 ガラス窓の前で撮影したのだが、中の長椅子スペースには人が誰もいない。

 (もしいれば嫌がられるから、撮影自体を控える。)

 ところが、私の胸元辺りに老人の顔が映っている。

 苦渋に満ちた表情だ。

 

 もちろん、同時進行的には承知していないから、続けて二枚目を撮影した。

 この場合、私の顔はカメラを構えたところ、すなわちフラッシュ光の後ろにある。

 そうなると、私の左側に見える、ベレー帽みたいな帽子を被り、丸いサングラスをかけた、チョビ髭の男は誰なのか。

 位置的には、私の左後ろから手を伸ばし、肩に掴まっているように見える。

 私を知る人なら、これが私に見える人はいないだろうと思う。

 

 なお、双方の画像でも私の顔ははっきりしないが、ぼんやりと見えるのは別人のそれではないかと思う。

 

 もしかして、「ムカデ行列」が始まるところだったのではないか。

 「ムカデ行列」とは、ある一人の人間(または幽霊)の背後から別の幽霊が掴まる。

 その後ろに、また別の幽霊が来て掴まる。さらにその後ろに・・・といった具合に、中心となる人や幽霊に長い行列が続くさまのことだ。

 この少し後になるが、私の左側から「ニースリーヴの白い女」が掴まり、右側からは別の男が掴まった画像を撮影した。男の後ろには、延々と別の幽霊が同じように隊列を作っていた。

 

 ひとの目に見える幽霊は、朧気であやふやなものだ。しかも、ひとが意識しないような出方をする。服装ですら、その場に似つかわしい姿をしているので、その場の景色に溶け込んでいる。

 しかし、姿かたちはあまり重要ではなく、問題なのは「内を目的として近付いているのか」ということだ。

 そういった意図や真意は、外見からは分からず、専ら相手の視線によって窺い知るしかない。

 

 なおPC内のこの日の画像やパワポファイルが全て壊れていたので、デジカメから画像を再構築した。なぜかこの関連画像だけが崩壊した。これも時々ある。

 

 追記)下図は、この四日後に撮影したもの。

 背後にぴったりと寄り添うように、大きな女が立っている。

 左側の腕の先(ガラス映像なので左腕)が鮮明に見える。

 私の頭のすぐ後ろに女の顔が来ているようだ。

f:id:seiichiconan:20200808170242j:plain

令和元年九月十二日撮影

 追記2)家人によると、「普通の人の感覚に合わせれば、もの凄く沢山の人にウケるのに」ということらしい。

 「でもそれじゃあ、怪談話になり、事実でも真実でもなくなる」

 「普通の人が求めているのは、そういう怪談で、真実じゃない。見る人の身の丈に合わせれば、もの凄く見る人が増えるよ」

 ユーチューバーとか、イナガワみたいになれってか。

 

 でも、それは「眼の前の現実」として見ていない者の考えだ。もし当方がそんなことをすれば、その後で何が起きるのか想像がつく。

 弄んだり利用したりすると、とんでもないくらいたかって来る。

 ダンナはいつも「十メートルくらい離れたところから、誰かが見ている」という感覚を覚えながら暮らしている。そのことに家人は思いが及ばない。

 ま、当たり前で、常にその状態の者はほとんどいないようだ。

 (大体、今だって、すぐ脇に立っている。とこれは、怪談口調のほう。)

 

 今日、別の患者と看護師さんとエレベーターで一緒になったが、例によって、また止まってしまった。

 ボタンを幾ら押しても動かない。

 仕方なく、当方が声に出して、「他の人に迷惑が掛かるから、俺一人の時だけにしてくれよ」と言うと、その瞬間、動き出した。

 

 声を聞き届け、理解しようとする者は少ない。

 動き出したタイミングがあまりにぴったりなので、看護師がもの凄く退いていた。

 次第に慣れて来たが、この後はもっと増えて行くと思う。