◎夢の話 第806夜 「ひっそりと生きろ」
八月八日の午前五時に観た、ごく短いホラー夢です。
夏場にはちょうどよい。
はっと我に返ると、役所らしきカウンターの前に並んでいた。
俺の前には二人の高齢者がいる。
役人が一番前のお年寄りになにやら小言を言っていた。
「あんたねえ。前もって書類を作って来なけりゃダメだよって、こないだも言っただろ」
「でも、私はトシでもう何が何だか分からないもの」
前の人はかなりの高齢女性だった。
「家族はいないのかよ。子どもとか孫とは同居していないの?」
「もしいれば助かるんだけどね。私は独り暮らしなの」
「ここで一人ずつの書類を代筆している暇はないんだよ。書いてから持って来いよな。はい次」
こりゃまた、サイテーなヤツが窓口にいるもんだ。
今はすぐにチクられるから、慇懃無礼なヤツの方が多いのに、これほど横柄なヤツは珍しい。
ま、こういうヤツに限って、何かほんの少し言われれば、すぐに辞めてしまうんだろうけどな
俺の直前の爺さんは、前のバーサンのやり取りを聞いていて嫌気がさしたのか、すっと列を抜けて帰ってしまった。
俺の方は、さっきの話を聞いていて、すっかり腹を立てていた。
「なあ、あんた。俺も障害者だけど、やっぱり世の中の厄介者なんだろうな。あの婆さんの扱いを見れば、そういうことだよな。年寄りや障害者は面倒だし、こいつらが居なくなってくれれば仕事が楽になる。そう思っているから、あんな話し方をする」
すると、窓口の若い男は仏頂面を露骨に俺に向けた。
「そんなこたあないよ」
「ほれ、その口調だよ。お前は自分の親にもそういう口の利き方をするのか」
「うるせーな。いちいちブーたれてんじゃねえ」
さ、もっと押してやれ。
「はっきり言えよ。障害者など、自分たちが払った税金を食う余計者だとね。実際、そう思ってるじゃないか」
大体、障害者の俺本人が自分のことをそう思っている。もはや生きていてもさしたることはできないからな。厄介者だし、早く死にたい。できれば誰かと心中して。
毎日毎日、そのことで、自分自身を責め続けているのだ。
これで、若い男はぷつんと切れたらしい。
「ああそうだよ。お前らみたいな穀つぶしは、早く死んでくれた方が助かる。お前らがちりちり生き残るから、俺たちの年金が少なくなる」
そりゃ違うね。この若者の年金が減るのは、自分たちが子供を作らないせいで、上の世代が原因ではない。役人なのに仕組みを理解していないんだな。
それを聞いて、「俺」は男に訊ねた。
「ねえ、お前。お前には子どもがいるのか」
あれ?俺は一体、こいつの何を訊こうとしているんだろ。
俺はこういうことを訊くつもりはなかったのに、勝手に口が開いて話をしていた。
「それが何だよ」
「普通は兄弟もいれば、甥や姪もいる。お前は若いから親もまだ生きているかもしれん」
「だからそれが何だって言うんだよ!!」
驚いたことに、この時、俺の口から出て来る言葉は、俺が考えた言葉ではなかった。
操り人形みたいに、誰かが俺の体を使って話をしているような気がする。
ここで俺は何気なく、自分の隣を見た。
思わず息を飲む。
そこにはおどろおどろしい妖怪のような顔をした「何か」が立っていたのだ。
「お前がそんな風な生き方をしているせいで、お前の親や女房子ども、兄弟やその子ら、夫や妻の親族に至るまで、悉く死に絶えることになるんだよ。すべてはお前ひとりのせいだ。可哀相にな」
その恐ろしい顔をした「化け物」は口をぱくぱくと動かしている。
コイツは何かを話しているのだ。
そして、その言葉は化け物の口からではなく、俺の口から出ている。
すなわち、俺が今、口にしている言葉は、この化け物が俺を使って話している言葉だったのだ。
「ああ、なんてこった。コイツは去年の夏に俺を捕まえようとしていた化け物じゃないか。どこかに消え去ったわけではなかったのか」
思わず俺が呟くと、その時、初めて化け物が俺の方を向いた。
「ははは。俺はずっとお前と一緒に居たんだよ。それに気付かなかったのか。俺はお前が嫌うヤツらのことを、これまで幾人もあの世に送ってやっただろ。せいぜい感謝してくれよな」
酷い話だ。俺はもう一年前に、コイツにすっかり同化されていたのだった。
「と、いうことは・・・」
ここで化け物がにたっと笑う。
「お前も知っている通り、この世にもあの世にもタダで得られるものはない。代金はお前の死後に払って貰うよ。ちと高いけどね」
ここで覚醒。