◎拾遺録 (その1)
何となく違和感を覚えるが、「不鮮明である」ことや、「気色が悪い」という理由で、そのまま仕舞ってあった(未整理)ものを順不同に振り返ることとした。
こちらには見間違いや解釈違いが出るだろうと思う。
最初のものは、数日前に家人がSNSに載せていた画像だ。
帰宅する時に、夕方のラッシュ時だったのに車内がガラガラだったそうだ。
何気なく撮影したという話だが、思わず「周囲には本当に誰もいなかったのか?」と確認してしまった。
家人の横にある出口は無人の筈だが、私には高校生くらいの女子が立っているように見える。ポシェットを下げ、髪は肩か胸元までのよう。
あんまり芳しくないのは、肩口がチェックのシャツに見えるのだが、実はこれは別の女性の顔だと思う。顔が横になっているから見極めにくい。
眼の錯覚でなければ、幽霊に別の自死者の幽霊が取り憑いている状況だと思う。
ま、採光が悪くはっきりしないから、総てが「気のせい」だということもありそうだ。それでも、家人の表情がかなり歪められているから、何かしらの異変があったとは思う。
私はこういうのを頻繁に目視するので、もはや駅や繁華街といった人込みには出掛けないようにしている。
ひっそりと立っているだけならまだしも、生きた人間にしがみついている幽霊を見させられるのは、さすがにウンザリする。
他は参考まで。
屋外で撮影すると、日光と湿気(水蒸気)との関係で、「煙玉」や「白煙」が写る(蒸気玉)。
大半が自然現象なのだが、たまに、うまく合理的説明の出来ないものがあったりする。日光やフラッシュの光が弱いのに出たり、乾燥しているのに現れたりする。
(後者には日光がレンズ効果によって像を結ぶ「日輪」になることが多いが、蒸気玉や白煙とは形状が異なる。)
はっきりとした線引きが出来ないのが現状だが、「あの世」に関わる異変が発生する時には、多く「説明のつかない煙玉や白煙」が同時に現れる。
「視線」や「人影」と同時に「煙玉や白煙」が写るということだ。
しかし、やはり「何とも言えぬ(判断出来ない)」ものが大勢を占める。
ただ、悪意を持つ者(幽霊)は、なるべく「自身の姿を晒すまい」とする傾向があるから、逆に気を付ける必要がある。
たとえどんなに「おどろおどろしい」姿かたちをしていても、きちんと表情が見え、「これはどういう性質のもの」だと分かる者の方が差し障りが少ないようだ。
二枚目三枚目の「女」は、もしこれが「単なる想像や妄想」、「気のせい」でなければ、かなり酷い悪心を抱えた者だと思う。
最後の画像は、白い看板に重なるように立っているので、大半の人が「看板を見誤ったもの」と考える。
私は「それを狙っているのではないか」と疑う。これまでにもそういう事例があったからだ。
肉食獣が獲物に近付く時には、極力身を伏せ、草の間に体を隠す。
手元のものでは、うっすらと表情が見えるのだが、気色が悪いので拡大したりトーンを付けるのは控えることにした。
生死に関わらず、悪意・悪心を直視するのは心地よいものではない。
ちなみに、遭遇したのが「現実に存在する」相手だったとしても、これまで指摘して来たような「基本三原則」を守れば、滅多なことは起きない。
ネットのコメント欄の方がよほど悪意に満ちており「気色悪い」と思う。
追記)三枚目のが「気色悪い」のは、左側の暗がりにいる「女(頭が複数)」が走り出している先には何があるのかということ。
対象は夫婦いずれか、私と不確かな女のシルエット。
「駈け寄ろうとする先が自分なら嫌だ」と思うから気色が悪いわけだ。
これには私が映っていないから、次の画像を確かめると、目的は私では無かったようだ。ただ、私の後ろには「先客が居た」というオチが付いた。