日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎嵐のような一週間

◎嵐のような一週間

 先週、ひと月分の連載原稿を不眠不休で一気に書いたが、途中で頭がぼーっとしていたらしく、保存するのを忘れていた。席を立って、戻って来てみたら、OSの更新が入っており、ファイルが自動保存されていた。

 再び開き、「どれを保存しますか?」と訊かれた際に、うっかり「かなり前」のをクリックしてしまった。

 一気に書いた部分が全部消えた。このケースだと、修復は出来ないようだ。

 また書き直しかあ。

 真面目なことを考えず、いつも通りダラダラとやればよかった。乏しい才能をやりくりして「帳尻を合わせている」のに、何時になく「頑張ろう」と思ったのが間違いだ(笑)。

 一気に書いたからアウトラインしか憶えていない。

 

 そもそも、細かいことなど憶えていられない。

 最近、老化が進行しているのか、本当に物忘れが酷くなった。

 ガス台にスイッチを入れ、そのまま忘れることも頻繁にある。

 席を立った瞬間にそれまでのことをきれいさっぱり忘れてしまう。

 常に「忘れても安全に終了できる」迂回路を考えておく必要がありそうだ。

 

 ともあれ、最初から書き直すことにした。

 気分転換に、自身が登録してある某購買サイトを開いてみた。

 ところが、PWを打ち込んでも、拒否される。

 登録し直そうとしたが、メルアドの登録自体が解除になっていた。

 「おかしい」と思い、クレジットを確かめると、こっちのPWも入らなかった。

 最も疑わしいのは、1)某購買サイトのマイページを乗っ取る、2)そのマイページからクレジット番号を盗む、というルートだ。

 ただ、3)クレジット会社のPWを探し当てねならないわけだが、私はPWをいちいちがらっと変える主義なので、これも変えてある。

 おそらくクレジットのPWが無効になったところで止まっていた模様。

 

 こちらはメルアドもまったく別のものに設定してあるので、行き着くまでに時間が掛かる。

 それでも、乗っ取り犯とほぼ同時に作業していたようで、ID、PWの微調整が効かなかった。

 一昨日注文した時に通用したPWが「今日は使えない」ので、さすがに気付いたが、放置してあればおかしなことになったかもしれん。

 何せ、某サイトには個人情報が口座番号まで全部載っている。

 被害が出る前に総て書き換えたようだが、暫くは経過観察になる。

 まだ、個人情報と銀行口座で、「他人の※※ペイの契約を勝手に締結する」というルートが残っている。メルアドは勝手に捏造した者を使うから、本人が知らぬ間に引き落とし可能になっている。

 

 こういう詐欺犯について、本人たちはゲーム感覚でやっているのではないかと思う。

 お年寄りは判断能力が鈍くなっていたりして対応が遅くなりがちだ。また、その人本人でなく家族にかこつければ、騙される人も出るだろう。

 だが、お年寄りにとってお金は命綱だ。

 それを根こそぎ取り上げるということは、もはや詐欺ではなく殺人に近いと思う。

 こういう犯人に対し抑止力になるのは、「自分たちの行為が原因で、自分たちに災禍が降り掛かる」という危機だろう。

 詐欺犯をさらに狙う強奪犯が現れたり、詐欺犯が数十人くらい皆殺しになれば、新しく参入しようとする者が躊躇するようになる。

 もちろん、詐欺犯の首を切ってしまえば、その人が殺人犯になってしまう。

 ともかく、私自身については、玄関に刀を用意して、当家に詐欺犯が来るのを待っている。あとはその時の流れ次第。

 ま、刀で切りつけぬとも、当家にはアモンがいる。三十人くらいは平気で始末してくれると思う。こっちは「存在しない」ことになっているから、何が起きても法に触れない。想像や妄想だけではない部分があるから、いくらか期待したいところだ。

 

 脱線したが、このほかにもシステム障害が起き、ほとんど不眠不休で作業させられた。

そんな一週間を経て、ようやく昨日から原稿執筆を再開した。

 

 今、『鬼灯の城』は最終段階に差し掛かっており、釜沢淡州は福田掃部と切田小太郎の糠部・鹿角連合軍に対峙している。ほぼ旧暦九月の宮野(九戸)城包囲戦のひと月前の話だ。

 かたや、館の中では、先妻の雪路の怨霊が徘徊しており、用人を次々に取り殺していた。

 後妻の桔梗は雪路の怨霊に苛まれ、病の床に伏している。

 淡州は合戦のため、雪路を残し、館の外に出て行くが、この章で最も怖いのはこの場面だ。

 淡州が桔梗の部屋の外に出て、「戸板を閉めると、もうそこには雪路の怨霊が立っていた」。それを見た瞬間、桔梗は自らの死を悟る。

 

 ところで、切田小太郎は鹿角の小領主だったのに、天正末年には四戸領の一部を得ている。何か手柄を立て、所領を与えられたらしいが、詳細は分からない。

 この辺の経過を利用して、物語に役立てているわけだが、基本が創作とはいえ、あまり史実から離れるわけにも行かないので、様々な制約がある。

 

 南部家が留ヶ崎城にいた時代には、目時は南部家の重臣として「目時筑前」の名が記されているのに、盛岡に移る時には目時一族がほとんど消えている。子や孫は新たに召し抱えられているのだが、詳細がよく分からない。目時孫左衛門になり「目時」家が復活するのだが、留ヶ崎城内に屋敷を構えていた頃とは扱いがかなり違う。

 この辺はさすが戦国で、十年くらいの間に様相ががらっと変わってしまったようだ。

 

 天正十九年の秋になると、いよいよ第二次奥州仕置きのために上方軍が北奥に入る。

 九戸一揆が平定されると、まだ上方軍が二戸に残っているうちに、南部信直は釜沢館を攻めるものとした。宮野落城後、たった数日のうちに、釜沢攻めが始まる。

 興味深いのは、この釜沢攻めにあたったのは、鹿角の大光寺光親だったことだ。

 たぶん、「九戸戦に参陣しなかった」という些細な理由では、淡州と顔見知りの地侍にとってすれば、さすがに「殺すに忍びない」からだったのだろう。

 理不尽な「言い掛かり」に近い話だから、その後、「釜沢淡州が怨霊になり、南部信直の前に現れる」という展開が生まれるのだが、もちろん、この怨霊譚は後代に創作されたものだ。

 この怨霊の話が眼に止まり、『鬼灯の城』の発想になったから、全編が怨霊譚になるのも当たり前の話だ。

 

 毎日のように「侍の首を切り落としている」と、さすがに頭の中が殺伐としてくる。

 加えて怨霊だ。怨霊まで行かずとも、幽霊なら現実に時々目にしている。