日刊早坂ノボル新聞

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◎北奥三国物語 鬼灯の城  中盤のあらすじ

◎北奥三国物語 鬼灯の城  中盤のあらすじ

 汚名

 和議の儀の前日。

釜沢館、目時館の双方で、互いに相手を攻め落とす手順を密儀していた。

杜鵑女と桔梗は、各々の狙う相手を毒殺する方法を思案する。

 当日になり、杜鵑女が隣室に潜み、聞き耳を立てていると、帷子豊前が見届け人として現れた。

 豊前はもう一人の立会人を連れている。

 その立会人は巫女の柊女で、杜鵑女が長く仕えていた師であった。

 杜鵑女は柊女への恨みを忘れておらず、桔梗と共に柊女をも毒殺することを決意する。

 和議の儀が終り、祝宴が始まる。

 杜鵑女が毒を仕込んだ手拭いを二人の許に配置させると、侍が駈け込んで来た。

 「神社口で合戦が始まっている」という報告に、この場の全員が緊張する。

 ところが、月山神社の前で戦っていたのは、四戸軍と目時軍だった。

 目時が釜沢館を攻めようとした、その同じ時に四戸が兵を寄せたため、両者の間で戦闘が起きたのだ。

 重清は目時筑前を詰問するが、筑前が抵抗したため、これを殺した。

 重清の正室である雪路は、筑前の血を浴びたので、傍にあった手拭いを手にするが、これが毒入りであった。このため、雪路はその場で絶命する。

 

 重清は、四戸方の小保内兵衛、目時方の佐藤弥五郎を支配下に置き、目時領の総てと四戸領の四分を手中に収める。

 一月八日になり、重清は筑前の子・目時孫左衛門を帯同して三戸に赴く。

 重清は南部信直、北信愛に状況を話し、孫左衛門、帷子豊前に証言をさせた。

 これにより、発端に目時筑前の謀略があったことが判明し、この騒動は不問とされることになった。

 南部信直らは、近々に九戸を攻める目的で、合戦の仕度をしていた。

 重清は九戸政実にこのことを報せるべきかを思案する。

 

恩讐

 重清は三戸から釜沢に帰館すると、直ちに小保内三太郎を宮野城に向かわせた。

 南部信直が宮野城を攻める準備をしていることを九戸政実に報せるためである。

 書状を眼にすると、政実は自らが問い質すべく三太郎の前に現れた。

 わずか一行の文面とひと言二言の会話で、政実は事態を把握し、迎撃体制の仕度をするよう一戸実富に命じた。

 

 その三日後の十七日になり、重清は「目時家来の楢山伊右衛門に反逆の意あり」という報告を受ける。

 重清は自ら楢山の屋敷に向かうが、伊右衛門は応ぜず、矢を放って来た。

 重清は半刻の猶予を与え、用人や女子どもを逃がす。

 伊右衛門を倒した後に、離屋に向かうと、病気の母親を守るために、娘が立て籠もっていた。

 最後まで抵抗した者は、殺されるか戦利品として下僕に渡されるのが決まりである。

 重清はその娘を不憫に思い、自らの戦利品として釜沢館に送った。

 

 翌日、重清が館に戻ると、「宮野城が攻められている」という報せが入る。

 三戸方は南弾正、北秀愛らを中心として、二千騎に徒歩五百の軍勢を仕立てて九戸政実を攻めた。

 寒中の城攻めで、籠城方の方が有利である。

 わずか半日で三戸軍は崩れ、散り散りになって敗走した。

 

 その三戸軍の殿(しんがり)を東信義が務めていた。

 信義は防戦しつつ退却していたが、ついには三人だけとなり、釜沢館を頼って来た。

 重清は信義を迎え入れ、追手を追い返した。

 

 閏一月。重清の許には、小野寺源治が正室・雪路が毒殺された件について報告に来た。

 源治は重清に「桔梗さまと杜鵑女殿の周囲には目を離さぬように」と注進する。

 源治と入れ替わるように、重清の前に杜鵑女が現れる。重清が毒について質問するが、杜鵑女が関わったという証拠は得られなかった。

 

 杜鵑女が主館の外に出ると、桶を手に働く娘の姿が目に入った。

 巳之助は「あれはお屋形さまの温情でこの館に入った『手つき女中』です」と語る。

 名も知らぬその娘の姿に、杜鵑女は自らの境遇を重ね合わせる。

 杜鵑女はここで改めて「桔梗を殺し、重清を奥州の盟主に押し上げる」ことを己に誓った。

 

宿敵

 天正十九年三月の初め。

 目時孫左衛門(孫左)は南部信直に呼び出された。 

 目時父子は独断で釜沢を攻めた結果、自領を失った。信直が示したのは、孫左を家臣団から外すという下知であった。

 「禄が欲しければ、九戸方から奪って来い。それが出来た暁には再び召抱える」 

 北信愛が冷たく言い放つ。

 孫左は仕方なく城を退出し、足沢の浅野庄左衛門の館を訪れた。

 そこで孫左は父筑前が蓄えていた砂金袋を渡し、助力を請うた。

 この浅野庄左衛門は浅野長吉の命で、鳥谷ヶ崎城の城代を務めていたが、数ヶ月前に一揆勢によって城を追われ、今は南部信直食客となっていた。

主の長吉に向け体面を保つためには、何らかの業績を残す必要がある。

 そこで、庄左衛門は孫左と手を組み、北奥の情勢を調べることにした。

 

 この頃、四戸城では軍議が開かれていた。

 四戸宗春に対し、弟の金次郎が「釜沢を諦めよ」と説くが、宗春は聞き入れない。

 このままでは、姻戚である九戸政実にも見捨てられてしまうことから、金次郎は行く末を危惧する。

 

 三月の上中旬に至り、九戸党の攻撃が始まった。まずは櫛引が浅水城を攻め、南兄弟を討ち取った。次に九戸本隊による「三城攻撃」が起きた。

 これは一月の宮野攻めに対する報復であったが、すかさず三戸軍も一戸城を攻め、この城を落とした。

 これにより、戦況は一進一退の様相を呈してゆく。

 

 北奥では、九戸党と三戸南部の争いに、さらに野武士勢力が加わり、複雑な戦いが展開された。

 重清が領内に厳戒態勢を敷き、防備に務めているところに、福田掃部の弟・福田紫十郎が救援を求めて駆け込んで来る。

 掃部が斯波表に出兵している隙に、野武士により館が襲われたというのだ。

 重清は思案したが、桔梗の助言もあり、兵を引き連れて救援に向かった。

 重清は野武士を打倒するが、館を帰館して来た掃部に引き渡すと、直ちに釜沢に去った。

 

 三月の下旬となり、浅野庄左衛門は釜沢を偵察することにした。

 釜沢では用水路が整備され、さらに大掛かりな田畑の開墾が進められていた。

 これが数十年前、二代掛かりの計画によるものだと知り、庄左衛門は驚く。

 そこに藤乃という女が現われる。

 藤乃は薬種を栽培し商う家の者で、母親が上方出身であったことから、庄左衛門を家に誘った。

 その家を訪れ、蕎麦を馳走になっていると、釜沢館主の重清が現われる。

 そこで庄左衛門は重清の腹の内を確かめるべく、様々な鎌を掛ける。

 重清は「食を増やし、民の腹を満たせば、自から戦いが止む」という考えの持ち主で、武士による統治をあっさりと否定した。

 釜沢では、侍も百姓も分け隔てなく食べ物を分かち合い、笑って日々を送っている。

 庄左衛門は、いずれ重清の思想が武士による秩序を脅かすようになると考え、重清を倒すことを決意した。

 重清は総ての侍にとっての敵に他ならないのだ。

 

 一方、釜沢館では、巫女の杜鵑女が思案していた。

 「早く桔梗を除かねば、重清の行く末が崩れてしまう」

 しかし、もはや毒は使えない。

 また、直接、祈祷によって呪い殺すのは、様々な弊害が生じる。

 杜鵑女が逡巡している仲、館内の侍女のおようとみちが、いずれも亡霊に憑依されやすい体質であることに気付く。

 そこで、杜鵑女は重清の先妻である雪路をあの世から呼び出し、恨みの念を桔梗に向けさせることを思いつき、二人を連れて北奥の霊場のひとつである姫神山に向かった。

 

怨霊 

 九戸党による「三城攻撃」を発端とする攻防戦が一段落すると、合戦は小休止に入った。

 そこで、南部信直は、北信愛、浅野庄左衛門に諮り、関白秀吉の許に使者を送ることを決めた。この上洛部隊は、名代を子の利直とし、随行に北信愛を置く。さらに浅野家家臣の庄左衛門が交渉を補佐するものとした。

 京へ派遣する目的は、上方軍の遠征を請うものだ。

しかし、関白は意に添わぬ者を容赦なく殺す「痴れ者」であるため、この陳情自体により信直が無能と見なされるかも知れぬ。

このため、信直は大いに緊張した。

 浅野庄左衛門は二人に向かって、「九戸も天下の逆賊だが、釜沢淡州こそ武士の世を脅かす者」であると説く。

 

 その頃、釜沢館を伝令が相次いで訪れた。

 八戸薩摩(政栄)が櫛引兄弟を攻撃するにあたり、重清は八戸と櫛引の双方から援軍を求められたのだ。

 重清はそれまで双方と良好な関係にあり、要請を無視するわけにはいかない。

 遂に重清は何れかの陣に参陣することを決意した。これは同時に、八戸・櫛引だけでなく、三戸九戸の何れかに加担することを宣言することになる。

 出陣に当たり、重清は杜鵑女に神の宣託を求めた。

 すると杜鵑女は「八戸薩摩の側に立て」と答えた。

 重清がこれに同意し、北館を出ようとすると、桔梗が現れる。

桔梗は平伏し、「櫛引左馬之助(清政)さまをお助け下さい」と乞う。

その話を杜鵑女が耳に留める。

 杜鵑女は重清がこの女子の言葉に惑わされ、己のあるべき運命を損なうのではないかと危惧する。

 

 重清らが西之沢に達すると、櫛引清政らが落ち延びて来るところに出会う。

 清政は「八戸に反撃するため、この場は見逃してくれ」と重清に願う。

 重清はそれを受け入れ、清政を見逃す。

 重清が法師岡館に着くと、八戸軍が包囲戦を始めるところだった。

 八戸直栄は策謀を巡らし、館を攻略した。

 この館を守っていたのは、清政の妻である篠だったが、少数の手勢ながら八戸と正面から戦い戦死した。

重清はその一部始終を見届ける。

 

 重清が家来数名を連れて釜沢に帰ろうとすると、西之沢の近くで毘沙門党の紅蜘蛛に会う。紅蜘蛛は福田治部の家来と争い、手傷を負っていた。

 程なく追手がその場に到着するが、行掛かり上、重清はやむなくその追手を殺した。

 しかし、追手の一人が重清の刃を逃れ、福田館に逃げ帰った。

 

 杜鵑女は重清が自分との約束を守らず、櫛引を討たなかったことを知り失望する。

そこで、重清を惑わす桔梗を「悪の根源」と見なし、この女を呪い殺すことにした。

 杜鵑女は重清の先妻である雪路の霊をおよう、みちの何れかに降ろし、雪路に桔梗を殺させようと考える。

 おようとみちは女中であると同時に、杜鵑女に従う巫女でもあった。

 厳しい祈祷の果てに、雪路の霊はおように降りた。

 雪路の怨霊は、己の死後、桔梗が重清と睦み合っているのを知り、この女への憎悪の念を滾(たぎ)らせる。

 

 一方、福田館では、賊に倒された家来の一人が「カマザワが手を下した」と言い残したため、重清の関与を疑う。

 釜沢館の内と外の両方から、重清にとって最大の危機が迫って来ていた