日刊早坂ノボル新聞

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◎『北奥三国物語 鬼灯の城』 これまでのあらすじ(杜鵑女編)

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◎『北奥三国物語 鬼灯の城』 これまでのあらすじ(杜鵑女編)
            
 杜鵑女(とけんにょ)は元の名を夕月(ゆうづき)と言う。薬種商人の家に二女として生まれ、他に姉と弟の姉弟二人がいる。
 夕月が四歳の時に、父親が重い病を患い、商いが立ち行かなくなった。
 両親は口減らしのために、巫女の柊女の許に娘を置き去りにした。
 親たちは、己が生きるため、そしてなるべくなら娘を生かすために、道場の前に娘を放置したのだ。
 柊女は女児の声を聞き留め、その情念の強さを感じ取り、娘を見習い巫女にするべく拾った。
 杜鵑女の法名は、その時の泣き叫ぶ声が杜鵑(ほととぎす)に似ていたことから名付けられた。
 それから二十四年が経ち、女子でありながら、杜鵑女は心に野心を抱いていたが、師の柊女にそれを悟られ、破門にされた。
 杜鵑女が庵を去る時、参道の両側には、見習い巫女や支援者たちが立ち並んだ。そして、その人々は各々が手に持つ榊の枝で、散々に杜鵑女を打ちのめしたのだ。
 傷付いた杜鵑女は、その地を離れ、北奥を放浪した。その果てに釜沢の地に辿り着いたが、釜沢館の裏でついに気を失ってしまった。
 館主の小笠原重清は、杜鵑女の処遇を思案するが、この女の予言めいた言葉に耳を留め、ひとまず館内に留め置くことにした。

 その杜鵑女の言に従って重清が三戸城下を訪れると、幼い頃に死んだと思っていた妹が生きており、商家の女将になっていた。
 総てが杜鵑女の言った通りだったので、杜鵑女は重清に召抱えられることになった。
 杜鵑女の言に従い、重清は隣領の目時筑前と不可侵の協定を結び、人質の交換をする。
 重清は人質として訪れた目時夫人・桔梗の姿を見て心を揺さぶられる。
 当初、重清は、桔梗を人質として扱っていたが、館内の侍や用人が毒茸に当たった時に桔梗が救ってくれたことで、家人同様の待遇を与えた。
十二月に至り、釜沢館を隣領の四戸が急襲した。
 重清は計略を以って敵の侍を討ち取る。
 四戸軍が殺到した時、北の方角から三戸軍が寄せて来た。
 前は九戸方、後ろは三戸方に囲まれ、重清は緊張するが、しかし、その三戸軍は蓑ヶ坂にいた東信義が三戸防備のために兵を出したものだった。それを知り、四戸軍は撤退した。
 その夜、重清が眠れずにいると、寝所に桔梗が手炙りを届けに来た。桔梗は重清の心を癒すべく、己の着物を開いた。

 馬渕川の戦いから半月後、杜鵑女は重清に帯同し、三戸の伊勢屋に向かう。
 この頃、杜鵑女は、祈祷師であるだけではなく、軍師に近い立場を得ていた。
 三戸伊勢屋の離屋(はなれ)で、杜鵑女は重清に夜伽を命じられると覚悟し、半ばはそれを望んだ。
 そのことで釜沢館での己の位置が確固たるものになるからである。
 また、杜鵑女は重清がいずれ北奥の盟主になるという予知を得ていた。
 しかし、その夜、重清は杜鵑女を求めては来なかった。
 翌日、二人が帰館すると、大手門で桔梗が待っていた。
 並び立つ二人を見た瞬間、杜鵑女の目には、地獄の業火が二人の周りを取り巻いているように映った。 原因はまさしく桔梗である。
 桔梗が重清の天命を壊し、破滅させようとする存在であることは疑いない。
 杜鵑女は「あの女を放逐せねば」と決意する。
 かたや重清と桔梗は情交に明け暮れる。
 ついに桔梗は重清に「夫の目時筑前を殺してください」と乞う。

 天正十九年一月。重清は、九戸政実の催す年賀式に出席すべく、総勢五名で釜沢館を出発した。しかし、途中で四戸の刺客十二名が待ち伏せていた。
 従者二人が斃され、重清に危機が訪れる。
しかし、その場に居合わせた毘沙門党と四戸の刺客との間で戦闘が始まった。
 重清は「敵の敵は味方」と見なし、すぐさまその場を離れる。
 この事件の知らせが目時筑前に届く。
 筑前はこれこそ好機だと考え、釜沢との間で和議を為しめることにした。
 その和議の席で重清を殺し、釜沢を手中に収めよう。筑前はそんな風に考えたのだ。
そのことを知り、桔梗は自らの手で夫・筑前を暗殺することに決め、杜鵑女の許を訪れる。
 桔梗が鼠を駆除するための毒の調合を依頼すると、杜鵑女は桔梗の真意を察知する。
杜鵑女の霊視によれば、桔梗は重清の行く末を破壊し、釜沢を滅ぼす悪女である。
この女を除かねば、杜鵑女自身の身も危うくなってしまう。
 そこで、杜鵑女は桔梗の謀に乗じ、毒を用いて桔梗を殺すことを決意する。

 釜沢、目時の和議の日、杜鵑女と桔梗は、各々の狙う相手を毒殺する企てを立てていた。
 和議の儀が終り、祝宴が始まる。
 杜鵑女が毒を仕込んだ手拭いを二人の膳に配置させると、侍が駈け込んで来た。
 「神社口で合戦が始まっている」という報告に、この場の全員が緊張する。
 ところが、月山神社の前で戦っていたのは、四戸軍と目時軍だった。
 目時が釜沢館を攻めようとした、その同じ時に四戸が兵を寄せたため、両者の間で戦闘が起きたのだ。
 重清は目時筑前を詰問するが、筑前が抵抗したため、これを殺した。
 重清の正室である雪路は筑前の血を浴びたので、傍にあった手拭いを手にするが、これは杜鵑女が桔梗を狙って毒を仕込んだものだった。このため、雪路は即座にその場で絶命した。

 重清は、四戸方の小保内兵衛、目時方の佐藤弥五郎を支配下に置き、目時領の総てと四戸領の四分を手中に収める。
 一月八日になり、重清は筑前の子・目時孫左衛門を帯同して三戸に赴いた。
 重清は南部信直、北信愛に当時の状況を話し、孫左衛門、帷子豊前に証言をさせた。
 これにより、発端に目時筑前の謀略があったことが判明し、この騒動は不問とされることになった。
 重清は三戸から釜沢に帰館すると、直ちに小保内三太郎を宮野城に向かわせた。
 南部信直が宮野城を攻める準備をしていることを九戸政実に報せるためである。
 書状を眼にすると、政実は自らが問い質すべく三太郎の前に現れた。
 わずか一行の文面とひと言二言の会話で、政実は事態を把握し、三戸迎撃の仕度をするよう一戸実富に命じた。

 一月十八日。重清の許に、「宮野城が攻められている」という報せが入る。
 三戸方は南弾正、北秀愛らを中心として、二千騎に徒歩五百の軍勢を仕立てて九戸政実を攻めたのだ。
 しかし、寒中の城攻めで、籠城方の方が有利である。わずか半日で三戸軍は崩れ、散り散りになって敗走した。

 閏一月。重清の許に小野寺源治が来た。
 小野寺源治は正室・雪路が毒殺された件について報告に来たのだ。
 源治は重清に「桔梗さまと杜鵑女殿の周囲には目を離さぬように」と注進した。

 杜鵑女は主館の外で、桶を手に働く娘の姿を目にした。従者の巳之助によると、名をおようというその娘は「お屋形さまの温情でこの館に入った『手つき女中』」だと言う。
 その女中は、重清に歯向かって殺された楢木伊右衛門の娘で、本来、奴婢に落とされるところを救われたのだ。
 その娘の姿に、杜鵑女は自らの境遇を重ね合わせる。
 杜鵑女はここで改めて「桔梗を殺し、重清を奥州の盟主に押し上げる」ことを誓った。

 天正十九年三月の初めに、目時孫左衛門(孫左)は南部信直に呼び出された。 
目時父子は独断で釜沢を攻めた結果、自領を失った。信直が与えたのは、孫左を家臣団から外すという命であった。
 孫左は城を退出すると、足沢の浅野庄左衛門の館を訪れた。
 この浅野庄左衛門は浅野長吉の命で、鳥谷ヶ崎城の城代を務めていたが、数ヶ月前に一揆勢によって城を追われ、今は南部信直食客となっていたのだ。
 庄左衛門は孫左と手を組み、北奥の情勢を調べることにした。

 三月に至り、九戸党の攻撃が始まった。まずは櫛引が浅水城を攻め、南兄弟を討ち取った。次に九戸本隊による「三城攻撃」が起きた。
 これは一月の宮野攻めに対する報復であったが、すかさず三戸軍も一戸城を攻め、この城を落とした。
 これにより、戦況は一進一退の様相を呈してゆく。

 北奥で九戸三戸の衝突が重なる中、浅野庄左衛門は釜沢を偵察することにした。
 釜沢では用水路が整備され、さらに大掛かりな田畑の開墾が進められていた。
 これが数十年間に及ぶ、二代掛かりの計画によるものだと知り、庄左衛門は驚く。
 庄左衛門が薬種商人の家を訪れ、蕎麦を馳走になっていると、釜沢館主の重清が現われた。
 重清は「食を増やし、民の腹を満たせば、自から戦いが止む」という考えの持ち主で、現下の武士による統治をあっさりと否定した。
 釜沢では、侍も百姓も分け隔てなく食べ物を分かち合い、笑って日々を送っている。
 庄左衛門は、いずれ重清の思想が武士の布(し)く秩序を脅かすようになると考え、重清を倒すことを決意した。

 この頃、釜沢館では、杜鵑女が思案していた。
 「早く桔梗を除かねば、お屋形さまの行く末が壊されてしまう」
 しかし、もはや毒は使えない。また、直接、祈祷によって呪い殺すと、様々な弊害が降り掛かる。
 杜鵑女が逡巡する中、女中のおようとみちが、いずれも亡霊に憑依されやすい体質であることに気付く。
 そこで、杜鵑女は重清の先妻である雪路をあの世から呼び出し、恨みの念を桔梗に向けさせることを思い付いた。
杜鵑女はすぐさま二人を連れ、北奥の霊場のひとつである姫神山に向かった。
 
◆この先の展開
 九戸・三戸の戦いが激化する中、小笠原重清は両陣営から参陣を要請されるようになる。
 八戸政栄が櫛引を攻めると、重清の許に双方から援軍を請う早馬が届いた。
 重清は双方と交流があり、決断に窮する。
 かたや杜鵑女は、姫神山での修行を終え、おようとみちの二人を伴って、釜沢に戻る。
 杜鵑女らが祈祷を始めると、館内では次々に異変が起き始める。
 上方では、羽柴秀吉が奥州征伐を発令し、浅野長吉、蒲生氏郷らが十万余の兵力を以て、進軍を始める。
 浅野庄左衛門と目時孫左衛門があれこれと手を回し、重清を陥れる策謀を企てる。
 程なく釜沢館内には、先妻雪路の怨霊が現れ、様々な祟りを振り撒く。
 その祟りは、当初、杜鵑女が想定したものよりも遥かに甚大な被害を釜沢にもたらすことになる。