日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎能仁寺にてご供養 R061027

能仁寺にてご供養 R061027
 前日、現実に「80キロの女」が肩に乗っている可能性が見えたので、この日は朝から飯能の能仁寺までご供養に行った。
 この寺の緩い坂を上ると、自身の体調の良し悪しが分かる。
 心臓の調子が悪い時には、十度くらいの坂が上れなくなる。
 この日は立ち止まらず歩くことが出来た。

 天候は雨後の曇り。このため参詣客はほぼゼロだった。
 お焼香をし、東屋で紅茶を供えた。
 昨日から、肩の痛みが断続的なものに変わったので、このまま頻度や強度が下がって欲しいと思う。

 

 ここから日高に向かい、高麗神社に参拝。
 この画像では見難いが、煙玉と煙(人型)が幾らか出た。
 この時期にしては異変が少ないが、最近は足が遠のいているのと、まだ午前中でTPOが整わぬせいだと思う。一年尾中で神無月から翌年の一月までが、もっとも姿を捉えやすい季節で、人の姿が各所に入る。相手が見えれば、対応が容易になる。
 ま、様子を見て、先手先手で手を打つ。
 右手がアンテナのような役割を果たすが、この日も片手だけが異常に膨れて写っていた。膨れたのは一枚だけで、その後では平常に戻った。

 駐車場で車に乗ろうとした時、「お稚児さま」キーホルダーが欠落していることに気付いた。
 たぶん、能仁寺の境内で車に乗り降りする時に落としたのだろう。
 おいおい。大切な守護の神さまがいなくなっちゃったぞ。
 この先、暗雲が広がるのか。
 ちらっと不安になったが、車を買い替える時に鍵を付け替えたので、外れやすくなっていたのだった。
 ここで「もし誰かに拾われたら」と考えた。
 お寺や神社の境内に落ちている物を拾うと、厄を拾う場合があるので禁忌行為になるのだが、このケースで拾われるのは福神だ。幸運が舞い込んで来る。
 それなら、「幸運を分けてあげた」と考えるのが良さそうだ。
 お稚児さまのお守りは家に備えが複数あるし、今後も当方の守り神であることは変わりない。
 信じる者だけに幸運は来る。

 この日、「80キロの女」を見付けることは出来なかったが、徐々に肩痛が軽くなりつつある。総てではないが、やはり何かしら関りがあるのかもしれん。
 「早期発見、早期対策」の習慣がついたので、「かもしれぬ」の段階で手を打つようになった。状態が改善されるのであれば、理屈や能書きは不要だ。