◎北奥三国物語 鬼灯の城 宿敵の章(要約) ※盛岡タイムス紙にて合戦中
天正十九年三月の初め。
目時孫左衛門(孫左)は南部信直に呼び出された。
目時父子は独断で釜沢を攻めた結果、自領を失った。信直が示したのは、孫左を家臣団から外すという下命であった。
「禄が欲しければ、九戸方から奪って来い。それが出来た暁には再び召抱える」
北信愛が冷たく言い放つ。
孫左は仕方なく城を退出し、足沢の浅野庄左衛門の館を訪れた。
そこで孫左は父筑前が蓄えていた砂金袋を渡し、助力を請うた。
この浅野庄左衛門は浅野長吉の命で、鳥谷ヶ崎城の城代を務めていたが、数ヶ月前に一揆勢によって城を追われ、今は南部信直の食客となっていた。
主の長吉に向け体面を保つためには、何らかの業績を残す必要がある。
そこで庄左衛門は孫左と手を組み、北奥の情勢を調べることにした。
この頃、四戸城では軍議が開かれていた。四戸宗春に対し、四戸金次郎が「釜沢を諦めよ」と説くが、宗春は聞き入れない。このままでは、姻戚である九戸政実にも見捨てられてしまうことから、金次郎は行く末を危惧する。
三月の上中旬に至り、九戸党の攻撃が始まった。まずは櫛引が浅水城を攻め、南兄弟を討ち取った。次に九戸本隊による「三城攻撃」が起きた。
これは一月の宮野攻めに対する報復であったが、すかさず三戸軍も一戸城を攻め、この城を落とした。
これにより、戦況は一進一退の様相を呈してゆく。
北奥では、九戸党と三戸南部の争いに、さらに野武士勢力が加わり、複雑な戦いが展開された。
重清が領内に厳戒態勢を敷き、防備に務めているところに、福田掃部の弟・福田紫十郎が救援を求めて駆け込んで来る。
掃部が斯波表に出兵している隙に、野武士により館が襲われたというのだ。
重清は思案したが、桔梗の助言もあり、兵を引き連れて救援に向かった。
重清は野武士を打倒するが、館を帰館して来た掃部に引き渡すと、直ちに釜沢に去った。
三月の下旬となり、浅野庄左衛門は釜沢を偵察することにした。
釜沢では用水路が整備され、さらに大掛かりな田畑の開墾が進められていた。
これが数十年前、二代掛かりの計画によるものだと知り、庄左衛門は驚く。
そこに藤乃という女が現われる。
藤野は薬種を栽培し商う家の者で、母親が上方出身であったことから、庄左衛門を家に誘った。
その家を訪れ、蕎麦を馳走になっていると、釜沢館主の重清が現われる。
そこで庄左衛門は重清の腹の内を確かめるべく、様々な鎌を掛ける。
重清は「食を増やし、民の腹を満たせば、自から戦いが止む」という考えの持ち主で、武士による統治をあっさりと否定した。
釜沢では、侍も百姓も分け隔てなく食べ物を分かち合い、笑って日々を送っている。
庄左衛門は、いずれ重清の思想が武士による秩序を脅かすようになると考え、重清を倒すことを決意した。
重清は総ての侍にとっての敵に他ならないのだ。
一方、釜沢館では、巫女の杜鵑女が思案していた。
「早く桔梗を除かねば、重清の行く末が崩れてしまう」
しかし、もはや毒は使えない。
また、直接、祈祷によって呪い殺すのは、様々な弊害が生じる。
杜鵑女が逡巡している仲、館内の侍女のおようとみちが、いずれも亡霊に憑依されやすい体質であることに気付く。
そこで、杜鵑女は重清の先妻である雪路をあの世から呼び出し、恨みの念を桔梗に向けさせることを思いつき、二人を連れて北奥の霊場のひとつである姫神山に向かった。
(解説)
話はいよいよクライマックスに向かうことになる。
重清は大樹の下に入ることなく、連戦連勝のまま、自領を拡げて行く。だが、そのことにより、自身の首が絞まっていくことに気付いていなかった。
杜鵑女は重清を守り、かつ自身のものにするために、亡霊の手を借りて桔梗を殺す。すると、それまでの重清の強運が壁に突き当たる。と、ここはマクベスの展開に戻る。
上方軍が宮野城を包囲する一方で、浅野庄左衛門は重清を倒すための謀をめぐらせる。