日刊早坂ノボル新聞

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北奥三国物語 鬼灯の城 其の十二 瓦解の章

北奥三国物語 鬼灯(ほおずき)の城  其の十二 瓦解の章 

◆要約

◆解説「瓦解の章」の意図

◆「瓦解の章」の背景

◆著者雑感

 

◆其の十二 瓦解の章 要約◆

釜沢に敵の兵団迫る 

 福田・切田連合軍が釜沢まで十里圏内に迫った。

 重清は四方に物見を送り、前衛となる目時館に小笠原十蔵と兵五百を派遣することにした。

 また、小保内兵衛、小保内三太郎を長とする先遣隊を敵兵団の視察に当たらせた。

 先遣隊は総勢三十名ほどである。

 小保内先遣隊は、釜沢の東方八里付近で敵兵団を察知した。

 幟旗の旗印を見ると、「丸に井桁」で、糠部の地侍ではない。恐らく鹿角侍である。

 三太郎は兵衛と諮り、ひとまず釜沢館に情勢を報せるものとした。

 山陰より敵兵団を偵察すると、その中に林彦三郎が居た。林は以前、治水に関し教えを乞いに来た侍である。

 ここで三太郎と兵衛は、自分たちが林に謀られていたことを知った。

 林による親切心を仇で返す裏切りに、二人は怒りを燃え上がらせる。自分たちが内情を明かしたことが、釜沢攻めを助けることになったのなら猶更だ。

 小保内三太郎は小数名の部下と共に敵陣内に潜入し、敵の構成を探ることにした。

 

 敵の兵団は、福田治部、掃部と鹿角の切田小太郎が主力となって居り、後方には北彦助が続く。

 糠部と鹿角の相互に相手をよく知らぬ兵が共に行動しているため、お互いに顔では判別がつかない。そこで、三太郎は「遅れて来た援軍」を装い、後方から堂々と部隊に侵入した。

 攻め手の中心に近づくと、果たしてそこに林彦三郎がいた。林の本当の名は福田紫十郎で、福田家の親族である。

 福田治部、掃部の他に居たのは、鹿角の切田小太郎に加え、目時孫左衛門らであった。

 すなわち、今回の釜沢攻めは、かなり前から目時孫左衛門らが画策したものだ。

 釜沢淡州が急成長と拡大を続ける中、孫左衛門は旧目時領を奪還すること、福田は釜沢、切田は四戸領を奪うことを目的に数か月前から用意されたものだった。

 

小保内三太郎、敵兵団に潜入

 三太郎は私憤から林(福田紫十郎)を狙っていたのだが、しかし、ここで事態の重さに気が付いた。福田・切田は、かつての四戸がしたように「思い付き」で攻め寄せたわけでは無かったのだ。そこで、家来の米田源信を釜沢に戻し、重清に報告させた。

 その一方で、自らは敵陣内でいざこざを起こし、相互不信を起こさせようと考えた。

 急編成の軍団だから、結束力が弱いと踏んだのだ。

 敵陣内で事を起こせば、勿論、生きては帰れない。討ち死には必至である。

 三太郎が数名の部下と共に、福田陣営の中核に近づくと、福田紫十郎が三太郎に気付いた。

 「やや。貴様は小保内三太郎・・・」

 即座に双方が刀を抜く。

 三太郎が走り出すが、相手は紫十郎ではなく、その後方に居た福田治部だった。

 福田治部が寄せ手の惣大将にあたるから、三太郎は治部を狙ったのだ。

 首尾良く治部を討ち果たすや否や、三太郎が叫ぶ。

 「それがしは切田小太郎家来、十和田八郎だあ。今此処に福田治部殿を討ち取ったぞ」

 すかさず三太郎の配下がこれに続く。

 「切田が治部殿を討ったぞ」

 「切田小太郎が寝返ったあ」

 これで軍団内に動揺が走った。

 三太郎と紫十郎が対峙する中、小保内兵衛が二十騎を以て突入して来る。

 兵衛は三太郎と別れ、帰館する筈だったが、三太郎の心中を悟り、敵を攪乱するために戻って来たのだった。

 乱戦の中、兵衛らは奮闘するが、弓手に囲まれ、次々に倒れる。

 切田小太郎が己の家来に三太郎の射殺を命じ、一斉に矢が放たれた。その一本が紫十郎に命中し、その機を逃さず、三太郎は紫十郎を切り捨てた。

 切田勢は三太郎も殺そうとしたが、切田小太郎が自ら三太郎の太腿を射て、三太郎は捕縛された。

 釜沢淡州に反逆の意思があることを示す証人は、もはや三太郎一人だけである。

切田にしてみれば、三太郎を殺すわけには行かなかったのだ。

 

福田・切田軍が釜沢館を包囲 

 程なく福田・切田連合が馬渕川を渡河し、釜沢領に入った。

 釜沢館では、敵の襲来を想定し、予め軍を二つに分け、小笠原十蔵を目時館の守備に向かわせていた。

 一方、淡州はこの攻撃が福田・切田の独断によるものだと読み、早い段階で三戸の南部信直と名久井の東信義に伝令を送っていた。これで三戸を動かすことが出来れば、恐らく三日の内に下知が下される。

 かたや、福田・切田は北彦助を巻き込んでいたが、彦助が父親である北信愛に伝令を送ったのは、軍を仕立てる直前だった。

 三戸への連絡を遅らせたのは、釜沢の反逆に対する検証を遅らせる意図による。

 沙汰に入る前に釜沢館を制圧してしまえば、後はどうにでもなると踏んだのだ。

 これも事態が動くまで三日を要するから、双方にとって勝負は二日間の攻防に懸かっている。

 城攻めの直前になり、釜沢の周辺が静寂に包まれた。

決戦は恐らく夜明けに始まる。

 

 釜沢館内では、重清(淡州)が桔梗を見舞った。桔梗は杜鵑女の策謀に掛かり、酸漿根を飲まされていたのだ。

 桔梗は流産し床に臥せっていたが、さらに、雪路の怨霊が現れ、桔梗に復讐を誓った。

 桔梗は自身の死期を悟り、重清に「杜鵑女の不実を暴くために、小野寺源治の文箱を調べて欲しい」と伝える。

 

重清、三太郎を己の手で射殺

 釜沢館の大手門から一丁のところに磔木が立てられ、一人の男が磔にされた。

 晒された男は小保内三太郎であった。

 福田は「証人となるこの男が居るから、叛意は明らかだ。申し開きをするなら、それを聞かんでもないから、直ちに開門せよ」

と迫る。 

 その時、三太郎の間近に福田の家来に扮した天魔源左衛門が現れた。

 天魔源左衛門は、九戸政実の依頼を重清に伝えに来たのだが、その帰り際に福田軍に潜入していたのだ。

 源左衛門は三太郎に、「釜沢が南部方に盾突く証にぬしがなっている」と囁く。

 福田掃部が釜沢館の前に使者を送って来たが、この使者は「もし三太郎が釜沢の家来だと認め、開門したなら、これまでの罪を許す」と伝えた。

 その申し出は虚偽で、もし重清が開門したなら、福田・切田は即座に重清を捕縛し、斬首に処するのは疑いない。

 重清はそのことを承知していたので、その使者を追い返した。

 だが、いよいよ重清は三太郎をそのままにして置く訳には行かなくなった。

 

 三太郎は覚悟を決め、「自身は切田の家来」だと叫び、さらに重清を貶める言葉を吐く。

 三太郎が「自らを殺してくれ」と伝えようとしているのは明らかである。

 三太郎の間近には福田家若侍の佐内が居たのだが、佐内はこれが初陣だった。

 佐内は三太郎の口を封じるために、三太郎に切り付ける。

 福田掃部は「証人を殺させてはならぬ」と佐内を止めさせる。

 三太郎は重傷を負い、後は苦しんで死ぬだけの身となった。

 そこで重清は自ら火縄銃を持ち、三太郎を射撃した。

 

杜鵑女、雪路の怨霊と対峙す

 北館の祈祷所では、雪路の怨霊を封じ込めるための祈祷が始まっていた。

 既に桔梗は死に、雪路の怨霊に用が無くなったのだ。

「おように雪路さまを降ろし、そこで・・・」

 幽霊が生きた者に憑依すると、その間は魂が同化する。その状態で再び死ぬと、双方が一体となって冥界に入る。

 杜鵑女は、雪路を降ろした状態でおようを亡き者にして、おようと雪路の両方をあの世に送る腹積もりだったのだ。

 祈祷を続けていると、巳之助が「お屋形さまが三太郎を撃ち殺した」ことを報せに来た。

杜鵑女の考えでは、この時こそが、重清が三戸と袂を分かち、九戸政実と連帯すべき時だった。重清が北奥の支配を目指すことを宣言する好機だった。

 自らが重清の傍に立ち、強く助言しなかったことを杜鵑女は深く後悔した。

 

東信義、釜沢に駆け付ける

 福田・切田連合の総攻撃が始まろうとする、その直前となり、蓑ヶ坂方面から三百騎の兵団が駆け込んで来た。

 旗印は割菱と九曜、すなわち東中務信義の兵たちである。

 東信義は蓑ヶ坂の守備に就いていたが、重清が三戸に送った伝令がその地に到ったので、福田・切田連合が釜沢攻めを引き起こしたことを知った。

 信義は三戸にその伝令を送り届ける一方、和賀に向かう筈だった東一族の兵団を急遽、釜沢に向かわせたのだった。

 信義は重清に命を救って貰った恩義がある。信義は事の次第を確かめるべく、南部信直に軍監任命状を貰ってあった。

 信義は福田・切田に「攻撃を待て」と命じ、自ら釜沢館を訪れた。

 重清は三戸の使者が東信義であることを知ると、門を開き信義を中に入れた。

 

杜鵑女、「使者の殺害」を宣託

 祈祷所では、杜鵑女がおように乗り移った雪路と戦っていた。

 おようは時々、雪路と入れ替わり、恋人の巳之助に「助けて下さい」と懇願する。

 重清の家来二人が祈祷所を訪れ、杜鵑女の助言を乞うが、雪路の怨霊はそのうちの一人を殺した。

 杜鵑女は残った家来に、重清の許に戻り、「使者を殺し、三戸打倒を宣言すべし」という伝言を渡す。

 

重清と信義が相互の信頼を確認する

 東信義は館の中に入ると、重清に対し単刀直入に訊ねた。

 「盗賊に加担して福田を攻撃したのは真(まこと)ですか」

 これに重清は実際に起きた出来事を有り体に答えた。

 毘沙門党の紅蜘蛛を見逃そうとしたのは事実だが、盗賊の一味ではない。

 また侍が襲って来る構えを見せたので、仕方なく応戦したが、それが福田の家来とは知らなかった。

 東信義はその言葉に偽りが無いとみて、「福田・切田軍を撤収させること」を約束した。

 信義は軍監の地位を得て居り、信義の裁定は南部方の総意となる。福田掃部、切田小太郎の双方に一定の「見返り」を与える約束をすれば、両名の目的は達成したのと同じことになるのだ。

 この時、祈祷所に向かっていた家来が戻り、杜鵑女の言葉を伝えた。

 重清と信義の間には、固い信頼関係があった。さらには、今回も信義が調停の役を務めてくれると言う。

 背中を向ける信義を見ながら、重清は一度は懐刀に手を掛けた。しかし、北奥の将来を心底より案じる信義の姿を目の当たりにし、重清は信義の殺害に手を染めることを避けた。

 

杜鵑女、おようごと雪路を封殺

 祈祷所では、いよいよおようの力が無くなり、巳之助が破魔の陣を解き、中に入れようとする。

 杜鵑女がこれを許し、封印を断ち切ると同時に、おようの中にいた雪路が表に現れた。

 杜鵑女は渾身の力で刀を振るい、おようの首を撥ねる。

 巳之助は杜鵑女が「初めからおようを殺す気だった」と悟り、杜鵑女を詰る。

 杜鵑女は大声で自身を追及しようとする巳之助の首元を刀で突き刺した。

 

巫女の企みが露見し、重清が杜鵑女の放逐を決める。

 福田・切田連合軍が去ったあと、ふた刻が過ぎた頃、祈祷所を重清が訪れた。

 その前に重清は寝所を訪れたのだが、桔梗は既に死んでおり、手紙を残していた。

 その手紙には「杜鵑女を信じてはならない。すべては小野寺源治が知っている」と書かれていた。

 雪路と桔梗を謀殺した件について、重清が杜鵑女を詰問していると、十蔵が源治の書付けを持って現れた。

 重清はそれを読み、館内で凶事を引き起こした張本人が杜鵑女であると断じる。

 杜鵑女が「確たる証拠は無い」と申し立てるので、重清はこの巫女を死罪にはせず、鞭打ちの刑に処し放逐することにした。

 巫女・祈祷師の身でありながら、国主の座を望んだ杜鵑女の企みは、ここで瓦解したのであった。(続く)

 

◆解説◆「瓦解の章」の意図

 本作のテーマである「鬼灯(酸漿)」は、古くより薬効を認められて居り、鎮咳、解熱、利尿作用と共に堕胎の薬として使用されて来た。

 このため、「偽り」や「不貞」、「裏切り」の象徴と認識されている。

 本作の登場人物の殆どが、その悪行の何れかに関わっているが、杜鵑女もその一人である。

 杜鵑女は親に捨てられ、柊女の許で修業をした巫女であり祈祷師であるが、生い立ちにより、侍の牛耳る世の中に恨みを抱いている。

 「名すら残せぬ者」として貶められる女の境遇に我慢がならない。

 このため、いずれは誰かを国主に盛り立て、それを自在に操ることで、実質的に自身が国主の地位を手中に収めようと目論んでいた。

 そのための手段が釜沢淡州重清だったのだが、重清を手名付けるためには、桔梗の存在が極めて邪魔だった。

 桔梗を排除するため毒を盛るが、これを正室の雪路が誤飲して死ぬ。今度はその雪路の怨霊を利用して、桔梗を殺そうと考え、殺害には成功するが、悪事が露見してしまう。

 侍を恨み、世間を恨む企てが瓦解し、杜鵑女はそれまで得た総てを失ってしまう。

 そんな内容の章になっている。

 

◆「瓦解の章」の背景◆

 三戸の留ケ崎城の内部には、「目時筑前」の屋敷跡がある。南部氏が三戸を拠点としていた頃には、目時筑前は北信愛と共に、南部家の執事のような役割を果たしていたようだ。

 ところが、天正末期の九戸一揆の頃になると、目時筑前の名は記録から消えている。

 場内に屋敷を持つ程の重鎮の立場であったのに、不意に消え、その子孫は南部利直の代になり「新規召し抱え」として小禄を得た。

 その間に何が起こったのかは、今では知る由もない。

 

 一方、四戸一族が何故に四戸を去ったのかについては、これまで様々な言い伝えが混交しており釈然としない。いずれにせよ、九戸戦の前後までには、この地を去っている。

 四戸氏の拠点は金田一(江戸に入ってからこう呼ばれるようになった)だったが、戦国末期に切田小太郎がその何分の一かを継承した。

 この辺りの経緯も詳らかではないが、小説の場合は、ある程度想像で補足することが許される。

 現実との辻褄が合っているのは、目時孫左衛門と切田小太郎に「何らかの功績があった」ということである。

 

 さて、天正十九年九月に上方軍が二戸宮野城(九戸城)を包囲し、数日間の攻防の後、城を攻め落とす。

 その数日後、南部信直は「九戸攻めに参陣しなかった」という、秀吉が「小田原攻め」の後に用いたレトリックと同じものを喧伝して釜沢を攻めることになる。

 実はこれが最大の謎だ。

 それまで、重清が何れかの軍に加わった形跡はない。

 宮野城と釜沢館は目と鼻の先の距離だ。

 それなら、地侍に割り当てられた人馬を派遣するくらいは簡単に出来た筈だ。釜沢の規模であれば、僅か十数人の話だ。

 勿論、その言い草は「こじつけ」「名分」の類で、それまでに何らかの「釜沢を攻め落としたい理由」があったのだろう。

 

 興味深いのは、南部軍は九戸戦直後に休まず釜沢に転戦するわけだが、釜沢攻めには糠部の侍が参加しなかったことだ。

 資料が乏しいのだが、「誰も手を上げぬ」ので、鹿角の大光寺左衛門(光愛)が攻め手大将に任ぜられたようだ。

 

 東信義(直義、朝政)は、上方軍が和賀・稗貫の征圧に当たった時に、南部家から案内役として派遣されている。

 上方軍は「奥州再仕置き」に伴う東征の折に、各地で虐殺を繰り返して来たが、東信義は和賀・稗貫で行われた殺戮を己の眼で確認した筈である。

 

◆著者雑感◆

 長い道程を経て、ようやくクライマックスの入り口に辿り着いた。

 この「瓦解」の章は長文で、この章だけで書籍一冊分のボリュームがある。

 物語の執筆には、「根気と体力」を要するのだが、今の筆者にはそれが最も欠けている。

 勢い「悪文製造機」と化し、無味乾燥の報告文のような記述となりがちだ。

 自作を読み返す気も起きぬのだが、どんなに劣勢で「弾切れ寸前」の状態でも、執筆を投げ出すわけには行かない。

 それなら、自分なりにやれることをやって行く外はない。

 唯一の救いは、「これまで一人たりとも、釜沢淡州の生き方・死に方に着目し、描こうとした者が居なかった」ということだ。

 どんなジャンルでも、「最初の一人」になるのは、よほど困難を伴うわけだが、その反面、やりがいの方も大きい。

 あと残りは一章程度。

 釜沢淡路守(淡州)重清には過酷な運命が待っている。

 この流れとは別に、城が落ちた後の若干の後日談を用意している。

 

 注記)体調的に「一発殴り書き」しか出来ませんので、幾らか不首尾(誤変換等)があると思います。