日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日の四文字熟語  「時鳥」

今日の四文字熟語

 体調がイマイチ。血圧が190台に上がっている。原因はほぼ分かっているが、「どういう経過を辿るのか」を確かめたいため、もうしばらくの間は処置をしないことにしている。

 

 さて、火曜の通院帰路、エレベーターに乗ると、同乗者が居たので、モニターの撮影はなし。

 そもそも室内映像ではなく、四文字熟語クイズの方だった。

 後ろの壁につくくらいの位置にいたので、モニターの小さい文字がよく見えぬが、問題はこんな風だった。

 

 時鳥

 

 え。コイツは難しいぞ。

 「時鳥」なら「ホトトギス」だろうが、前後に一文字ずつとなるとどういう熟語なのか。

 ま、最初は遊んでから。

 「六時鳥藤」:今夕は焼き鳥屋(鳥藤は店名)でね。

 

 あとは、ウーン。出来ねー。

 車に着いてから、急いでネット辞書を引いたが、それらしい四文字の熟語は見当たらず。

 そこで初めて、四文字熟語ではなく二文字の「時鳥」だったのではないかと気付いた。四文字ではないクイズもあるわけだ。

 ホトトギスには異名が多く、「杜鵑」、「杜宇」、「蜀魂」、「不如帰」、「時鳥」、「子規」、「田鵑」に「郭公」まである。

 このうち、「杜鵑」、「杜宇」、「不如帰」、「杜魂」、「蜀魂」が同一の伝説に基づいている。

 

 「百度百科」から引用すると、下記の通り(機械翻訳なので編集済)。

杜宇 (古蜀国国王)

 杜宇は古代の蜀漢の伝説の王。紀元前1057年、杜宇は呉王の戦争に参加し、シュウとして知られる周を打ち負かした。杜予は最初にシュウで皇帝を宣言したが、その時の名は王帝だった。

 注)日本では「望帝」と書かれるが、諱の方か?ま、相違があるのはこれだけではなく、各所に見解に異論がある。

 

 王(望)帝は治水等で功績を上げた。

 杜宇は退位後、西山山脈に隠遁したが、死後に鵑鳥に変わった。

 春には鵑は昼も夜も泣き叫び、喉から血が出るまで泣く。

 人々は「まるで杜宇が泣いているようだ」と亡き皇帝を偲んだ。(「太平玉蘭」第166巻「剣南路站郡、義州」)

 注記)途中で表記が消えている部分は、杜宇王帝が退位する件になる。杜宇は家臣の妻と不義密通をしたことが原因で退位した。杜宇は失意のうちに死ぬが、死んでもその女性のことを恋い慕って泣いた、とされているようだ。

 (この辺の内容は日本の資料による。)

 

 ホトトギスと言えば、「泣いて血を吐く」の言い回しで有名だが、出典を俳句と誤認しがちだ。

 何故そうなるかと言うと、

 「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

 「鳴かぬなら 鳴かして見せようホトトギス

 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、という三句が有名だからということ。

 織田信長羽柴秀吉徳川家康の作になぞらえたこの句は、勿論、後世の戯作になる。

 歴史小説好きが居酒屋であれこれ語るような浅い内容だ。いわゆる平和ボケの話。

 

 ところで、拙作の『鬼灯の城』では、「親に捨てられ、侍社会や世間の風潮を恨む」女祈祷師というキャラを設定してある。これを「杜鵑女」という名にしたのは、「怨念(と血)を吐き散らしながら神託を告げる」イメージがホトトギスに重なったからだ。

 「こんな話があれば面白い」とフレームを設計したのが、二十年以上前で、資料はその時にまとめて置いた。

 だが、実際に書き始めたのは二十年後だから、その間に細かい資料が失われ、断片的なメモしか残っていなかった。

 目前の雑事に追われ、かたちに出来ないまま時が過ぎてゆくのは歯痒い。

 「でも、万事がそんなもんだろうな」、とも。

 

 腹痛も始まって来たので、程なくお祓いを始めることにした。