日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎幽霊の寄り付き方(続)

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令和元年九月八日撮影

◎幽霊の寄り付き方(続)

 二月四日に掲示した過去画像について、さらに状況を検分する。

 幽霊画像は多く時間の経過と共に変化するのだが、概ね幽霊の姿が薄れることがほとんどだ。ただし、稀に鮮明になることもある。

 令和元年九月のこの画像については、これまでバラバラに掲示することが多かったが、同日中のものだ。

 この施設では、過去に事故で数名の方が亡くなっていることもあり、極力、詳細な記述を避けて来た。

 ただ、ご供養が成功したようで、その後は何ら異変が起きない。

 このままかき乱さなければ、この後もさしたる異変は生じぬと思う。

 

 この日は家人と一緒にこの施設の前を通ったのだが、何となく撮影することにした。

 ガラス窓のあるところでは、そこに映り込んだ私自身が入るように撮影するのだが、これはもはや習慣になっている。日光が交錯した状態で撮影すると、可視域の外にある、すなわち目視では見えぬ状況が映り込むことがあるためだ。

 帰宅した後に開いて見ると、最初の画像では、私のお腹付近に顔のようなものが映っていた。中はエントランススペースで、ここに長椅子が置いてあるのだが、誰もいないことが分かる。顔の大きさからみて、さらに奥の大広間に居る人ではない。

 この手の画像にしては、割と鮮明に「人の顔」だと認識出来る。

 御近所なので、すぐに思い当たる事実があるのだが、数年前に事故があり、数人の方が亡くなっている。この場で亡くなったわけではないが、事故が起きたのはここだ。

 そこで翌日か二日後に同じ場所を訪れ、「私について来れば今の暗闇から抜け出せる」と告げた。そしてその足で、お寺と神社に向かった。

 こちらはうまく行った事例で、その後、老人はまったく姿を現わさなくなった。

 

 次の画像は、最初の日の帰り際に撮影したものだ。

 私の頭が消え、私の背中に別の男がへばりついている。

 この男が私と同じようにサングラスを掛けていることについては、これまで記して来たとおりだ。

 幽霊が「同化・合体」を目的として、生きた人間井寄り付く時には、その相手の姿を真似ることがある。簡単に言えば、「化ける」ということだ。

 魂に入り込んでひとつになろうと思っているので、相手に化けるのが手っ取り早い。

 肉食動物が獲物に忍び足で近づくように、幽霊もこっそりと相手に化けながら近づく。

 

 ひとつの疑問は、このオヤジ幽霊が「大慌てで寄り付いて来た」きらいがあることだ。そのことが疑問だったが、今回、私の方に着目してみると、ガラス映像の私は合わせのある衣服を身に着けているようだ。まるで着物のよう。

 この時の私は黒いポロシャツだったから、色も違う。

 そこで最初の画像を思い出すと、あの老人は湯着のような着物を着ていた。

 そうなると、符合しそうなのは、あの老人がこの時には私と共に行動していたということだ。私の中に入っていた、と言ってもよい。

 幽霊が人に重なると、時々、人の姿や体の一部が消えてしまう現象が起きるのだが、そのように見なせば、私の頭が消失していたこととちょうど符合する。

 

 オヤジ幽霊の方は、私と言うより、老人の方が先に見えたので、急いで走り寄って来たのだろう。幽霊同士であれば頻繁に合体・同一化する。このオヤジは私同様にサングラスは掛けているが、顔はまったく私に似ていない。

 こういうのは、幽霊の存在をきっちり認識し、「自分は自分であなたではない」「自分には助けられぬので離れて欲しい」と口に出して言うことで、通常は分離できる。

 この場合、思考自体が幽霊に影響されている場合があるので、考えるだけでなく口に出して明言することが必要だ。

 生きた人間と同じで、頭で考えただけでは他人には伝わらない。はっきりと言葉と態度で示す必要がある。

 後はご供養だ。自分の信仰に従い、(あの世の)仲間に守ってもらうこと。

 

 こういうのは日常的に誰の身にも起きている。取り立てて騒ぐほどのことではない。

 「死後にも自我(自意識)が一定期間存続する」ことを受け入れてしまえば、幽霊を過度に怖れる必要もなくなる。幽霊はいずれ自分がなるかもしれぬ姿であって、言わば先輩だ。人生を卒業した先輩と同じ。

 その卒業生の何を怖れることがある?

 いずれは自分自身も卒業する。