◎古貨幣迷宮事件簿 「近代貨コレクターは大変だ」
近代貨については、ネットではなく対面での譲渡の方が問題が少ない。お互い納得した上での取引になるからだ。
ネットでは、そもそも目視と画像の見え方が異なることもあり、面倒ごとが多く発生する。そのやり取りに割く時間と労力が勿体ない。
今や地金価値よりも数段劣る市場だから、実際、気持ちが萎える。
それでも、少しは確かめるつもりで出品準備を始めたのだが、下調べのため、ネットの情勢を確認すると、惨澹たる有り様だった。
本物も偽物も一緒くたに出ている。
レーザー計測技術や極印製作技術が進歩してから、盛んにレプリカが作られるようになっているのだが、こんなに進行していたわけだ。
いつも「グレード分けとかはつまらない」と揶揄しているわけだが、今回ばかりは同情せざるを得ない。まがい物の方が多くなっているのに、何をどうしろと言うのか。
しかもコレクターは「時代を経た本物」よりもとにかく「見栄えのする美しい品」を求める性癖がある。時々は「飛び込み自コロ」を犯してしまいそうだ。
この情勢では、いずれ銀判類のように「未使用の美品」よりも「きちんと使われた品」の方が丁寧な扱いを受けることになって行くと思う。
例えが適切かどうかは分からぬが、百歳の女性なら「バーサン」でいるのが普通で、「若づくり」であれば、「きっと何かある」と勘ぐらざるを得ない。
脱線した。
手元で出品整理している品から幾つかを拾い出すと、次の通り。
S001-002 袋入り銀貨の一例
説明は前にしたので省略。銅貨ロールと違い、幾らか使用された品も混じっていたようだが、割と状態はよい。撮影すると、目視より白く見える(銀の酸化)傾向があるから、昨今作ったものではないことがわかる。
S003 流通した二十錢銀貨
こちらは流通した品で、使用の痕が見える。O氏遺品整理の時のものだ。
S004 旭日竜五十銭銀貨のエラー貨
まあまあの状態で、コレクションとしてもよいだろうなと思ったが、「日」字の横に筋が見える。
「傷がついていたのか」と少しがっかりしたが、線条痕の感じが違う。
マイクロスコープで拡大すると、傷ではなく盛り上がっていた。
極印が割れており、それを打ったので、隙間の分だけ盛り上がる。
要はエラー貨の類ということだ。
五十銭は大量に作ったので、時折、この手の線条痕のある品が散見される。
と言っても、私が見つけたのは過去に一度だけだ。
山の周りに塩化が入っているのでその部分が黒変しており、谷があるようにも見えるが、あくまで塩化だと思う。
これは近代貨コレクター向けというより、エラー貨コレクターの守備範囲だ。
これはこれで付加価値が付くから、少しツイていた。
以上は出品物。と言っても業者的スタンスではなく、古銭会の交換の延長にあるので、ネットオークションや販売サイトをイメージすると双方が失望すると思う。
一厘貨の不思議
一厘という貨幣は、銅貨の中では製造枚数が少ないのと、あまり残らなかったという事情があるのか、雑銭の中にはあまり入っていない。
銅貨の仕分けの際に、一銭などは何万枚と手にしたが、一厘貨は数えるほどだった。
最後の五六千枚だけ選別してみたが、画像にあるように数十枚だけ。
もうちょっと関心を持ってあげれば、お金の神さまが喜んでツキをくれると思う。
それが証拠に、手触りが少し違うので手に取って見ると、その貨幣は明治六年銘だった。近代貨にはまったく関心が無く記憶も乏しいのだが小役くらいはあった記憶がある。
ま、私の特技は直感力なので、手触りが違う品を取り上げると、大体は役物になる。
相手が人間でも同じ。
「オヤジをひと目見れば、どんな女性と浮気をしているかが分かる」。
そのことが知れると、オヤジが寄り付かなくなった。逆にそれで浮気がばれる。
注記)日々の日記の一環であり、推敲も校正もしない。誤記・誤表記・誤変換などの不首尾は当然あると思う。だが、机に向かえるのは、現状で一時間弱なので致し方ない。
気になる人は来ないで下さい。既に棺桶に入ったも同然の身なので、仲間も友だちも読者も要らない。今は撤収のためにやっていることだ。