日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「青銅貨の保存が難しい件について」その2

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青銅貨の保存が難しい件について(2)

◎古貨幣迷宮事件簿 「青銅貨の保存が難しい件について」その2

 まだ若い頃、三十歳になる前だったと思うが、花巻のNコインズを訪れた際に、Oさんが和紙の包みを出して見せてくれた。

 包みの中は、円銀の明治三年が二枚で、白い粉を吹いたような色合いだった。

 「これは県内で出た品だが、何故ここにこういう品があるのか、分かりますか?」
 記憶では、出所は確か「北上」だった。

 少しく考えさせられる。そもそも近代貨には興味が無いから、知識が乏しい。

 「円銀は貿易決済用で国内にはほとんど流通していません。国内で使ったのは五十銭ですね。そうなるとほとんど未使用の円銀がこの近くにあるのは想像がつきませんね」

 すると、O氏は笑って説明してくれた。

 「明治半ばに東北本線が建設されたのですが、その土地代金として明治三年(の円銀)が支払われたのです」

 東北本線の開通は明治二十二年だから、それは少なくとも明治十年台の話になる。

 土地代金なので、大きな金額となるが、幕末から明治初めに盛岡藩が紙幣を乱発し、そのほとんどが紙くずと化した記憶が残っていたから、農民は紙の紙幣を信用しなかった。

 そこで、昔のように銀で払ったのだ。

 その代金はほとんど使われてしまったのだろうが、たまに幾枚かを残してある家がある。箪笥の奥や、金庫に仕舞われたまま残っていた、ということだ。

 「興味はないかもしれんが、見て置くと良いですよ。百年保存した銀貨はこういう状態になる」

 勉強になる話だ。「今」にはそれにいたる道程があるということ。「過去」がきっちり反映されているし、反映されていることが信用になる。

 

 さて、金融機関の金庫に眠っていた貨幣の話に戻る。

 一時期、こういう連絡が沢山入って来たのは、やはり「最初にウェブを公開した」からということだ。

 だが、寄って来るのは近代貨や記念貨ばかりで、穴銭や資料類はほとんど来ない。

 そのうちに、普通品の近代貨が山積みとなり、買い入れ自体を止めることになったのだ。これは前回記した通り。

 だが、時々、面白そうな状況が耳に入る。

 「金融機関(農協や信金)の金庫に入っていた」

 「元職員が保管していた」

 冒頭の円銀の話と同様に、何かしらの背景があるのかもしれん。

 

 掲示の龍一銭は、前回の出所と同じで、大半がただ同然に貰ったものだ。(大量の銀貨のオマケだった)

 ほとんど流通していないのだが、やはり錆が浮く。

 傷が殆どないのに、「極美」はともかく「普通品」では、幾らか可哀想だが、これは仕方が無い。ま、今、残っているのは状態が劣る品で、錆の見えぬ良い品は流出した。

 半銭は別ルートだったと思うが、割と錆の少ない品が多く、これは次から次に売れた。銭種として「変わりもの」が多いという性格もある。 

 好きな品を指定して貰い、入札形式で売却したのだが、競る人が割といて下値で落ちた例が少ない。銀貨で相当な赤字を出していたので、これは助かった。

 

 銀貨の方は青銅貨ほど錆の腐食が激しくなく、黒錆(トーン)以外に気を遣わずに済んだのだが、打極後に落ちたり運ばれたりする時に、割合打ち傷が付くようだ。

 それでも、鏡みたいに表面色がきれいな品が存在するから、青銅貨よりも幾らかましだ。

 

 この青銅貨や銀貨を出して見せたら、「なぜ・どうして」と考える人なら、「どうやって保存されていたか」という疑問がわく。一枚二枚を業者やオークションで買ったものでないのは明白だから、必ず疑問に思う筈だ。

 そこで、集まりの時にバラバラッと出して見せたが、銭自体を見るのみで、疑問に思った人はほとんどいなかった。(正確には「一人だけいた」で、その若者には御褒美に、一番状態のよい一式をタダであげた。三十枚近くの未使用青銅貨だから、ひと言への褒美としては十分過ぎたろう。) 

 「どこから出た」「どういう風に仕舞われていた」は、鑑定にも役立つ情報なのに、それを訊ねる収集家はあまりいない。(「蔵から出た」なら、「どこの蔵か」くらいは訊ねるべきだ。そして機会があれば、その蔵に行って見ると良い。「訊ねて、訪ねる」ということ。最も怪しい出所が、この「蔵から出ました」だ。)

 ま、諸氏の名誉のために言えば、収集家の集まりに出るのは、ほとんどが穴銭を集める人だと加えて置く。興味が無いから、疑問も湧かない。私ももちろん、スルーする。

 だが、近代貨コレクターなのに「この銀貨は洗ってある」と言う人がいた。

 「使われていない品」と「洗った品」の区別がつかないのだ。たぶん、ロール割を見たことが無いのだろう。買い出しの現場や当事者のところには行かず、専ら、業者や入札を通じて集めているということだ。(これぞ「正体見たり」。)

 もちろん、これは批判のつもりではないので、念のため。

 昨今は地方の古道具屋や骨董商が激減しており、リサイクル業者に交代してしまった。コイン店自体、地方には殆ど無くなったのだから致し方ない。

 リサイクル業者では絶対に得られぬもの。それは蘊蓄だ。

 ネットオークションを、品物をやり取りする機会として利用する人も多いだろうが、単なる売買だけでなく、そのついでにひとつ踏み込んで、裏側を訊ねてみるとよい。

 「これはどういうところにあった品ですか?」

 「真贋はどこを見ればいいのですか?」

 コレクターの多くは「説明好き」だから、喜んで詳細を語ってくれたりする。

 私はそのやり方で、複数の中国人等と知り合いになった。

 

 ちなみに、貨幣は概ね地金よりコイン評価の方が高い。ところが、銀だけは相場の上がり下がりによっては、コイン相場を上回る。

 小型五十銭などは、常に銀地金としての価値が上回る。

 銀貨については、反応が鈍そうだったので、銀地金として大半を売却した。五六年前に、ある人の遺品整理を手伝ったことがあり、その時に売れ残りの銀貨を引き取ったのだが、やはり先日これも「銀地金」として一括で処分した。

  貴金属相場が上がった時だったので、この分は赤字にならずに済んだ。

 未使用・極美級の品だけ幾らか残してあるが、やはり私には興味が無いので、息子にやるか、あるいはこれという若者にでもくれてやろうと思う。

 この場合の通過儀礼は、かつてO氏より与えられた題のように、「何故この品がここにあるのか」にしようと思う。当たり前だが、「洗ってあるの?」はアウト。

 

 注記)いつも通り、一発殴り書きで、推敲や校正をしません。死に掛けの状態なので、他者への配慮もしません。今後は明確な根拠を挙げて批判もします(悪口ではない)。

 ちなみに、O氏の傍で学んだことは、買い取りの際に「品物をけなさない」「ひとをけなさない」ということだ。「良い品を安く手に入れたい」と思うのか、コレクターには真逆の人が多い。まず開口一番に「けなす」のだが、これは「欲しい」という意思表示になっている。そういうのも「お里が知れる」。

 それとは別に、こっそり他人のブックからコインを抜いて行こうとする者も結構いる。

 こういうのを観察するために、普通品の中に「役付きを混ぜて置く」ことをしていたが、まだましなのは「詳細を見ぬふりをして一括で買おうとする」者だ。だが、良い品だけをこっそり抜いて行く者も割合いる。そういう事情で、骨董の収集家たちからは「古貨幣・コイン収集家は一段低く見られている」のが現実だ。