日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「竜五十銭明治三十一年の文字型」作業ノート

◎古貨幣迷宮事件簿 「竜五十銭明治三十一年の文字型」作業ノート

 明治初期に近代プレス貨幣の製造を開始したわけだが、当初は不慣れなこともあり、完成物に様々な小異が発生している。

 こういうエラーは、数十年後も起きるものなのかどうか。

 そこで、少し間隔を置き、明治中期頃の竜五十銭銀貨で、明治四年と同じようなことが起きているのかどうかを確かめることにした。

 現状では、机に向かっれいられるのは、一度に小一時間ほどなので、休憩時間の方が長い。その時間に作業的なことをやれば、暇潰し程度にはなる。

 「明治三十一年」と特定するのは、手元に枚数が残っていたことによる。

 銀貨類はほとんど銀地金で処分したのだが、明治三十一年とこの近辺の年号の品は幾らか別にしてあった。

 記憶によると、NコインズのO氏から「あれば譲ってくれ」と言われており、枚数を取り纏めていたのだが、引き渡しの前にO氏が亡くなられたので、そのままになっていた。

 この近辺の年号について手替わりの所在が公表された後で、恐らく顧客から注文が入っていたのだろう。

 小売が枚単価アラ1千円の頃に、「手数料を‘300円」というリクエストで、こちらも枚数を抱えていたから、断る理由はない。

 近代貨は買い入れ窓口に個人がかなり来ていただけでなく、金融機関の金庫から出たものがまとまって入っていたから、処分に困るほどだった。

 金融機関の金庫のものは、青銅貨と違い、ロールに巻かれておらず袋入りだった。

  トーンだけでなく運ぶだけで傷がつくので、状態が極美以上のものが少なかった。

 「欲しい品だけ欲しい」というリクエストには、必ず手数料がつくのだが、業者でもないし、この時は滞貨となった近代貨を処分するのに手一杯だった。

 特年や手替わりなど、調べるのもウンザリ。一枚を一万円で買う人よりも、一万枚を買う人の方が上客だ。ま、そもそも商売ではないから利益は重要ではないが、どこかで元を取らねば体の良いボランティアになってしまう。

 Oさんも私も、互いにどういうルートを持っており、何を在庫に抱えているかを承知していた。そして、私の方は近代貨にはまったく関心がない。あとは仁義の問題だ。

 

 とまあ、前置きが長くなったが、とりあえず下準備を始めることにした。

 作業仮説の目途が立つまでは、半ば闇雲に観察していく必要があるから、時間が掛かる。存命中には間に合いそうもないので、結局は暇潰しで終わるだろうと思う。

 

 とりあえず、たたき台を作るために二十枚くらいを観察してみることにした。

 手がかりが得られれば、ターゲットが決まるから、収拾の必要な情報量を減らすことが出来る。

竜五十銭 明治三十一年銘の文字型観察(試験段階)

 型の相違にはサイズの違いも含まれるわけだが、デジタルマイクロスコールの枠を一定に固定し、接写すると画像調整の手間が省ける。ところが、表側の文字が大き過ぎるので、枠に収まり切れぬきらいがあるようだ。

竜五十銭銀貨 明治三十一年銘 裏側の文字型

 今のところ、一部に「文字の太細」の相違が目に付くが、これが意味のある違いかどうかは、さらに調べる必要がある。

  ま、3サンプルを眺めただけで何かを見付けようと思う方が無理な話だ。

 

 難点は、旭日龍銀貨と違い、文字数が多いことで、作業が煩雑になっていることだ。

 意匠(デザイン)にも特徴があると思うが、そこまで手が回るかどうか。

 もちろん、メートル級の原版が一枚だけではない筈であるし、縮小彫りの際にも変異が入り込む余地はあるだろう。

 今後の課題は多い。

 

 最後に感想だが、まさか近代貨を詳細に見る日が来るとは思わなかった。

 何万枚も処理して来たので、興味が一切湧かず、ジャンル自体を軽く見るほどだった。何せコレクション向きかどうかは別として、存在数自体はやたら多い。

 上品から並品は銀地金で売却したほどだが、この手の分析には状態はあまり関係がない。希少性を見てはいないからだ。

 他人の持っていない珍しい品を持っていることは、収拾の励みになる筈だが、そこに囚われ過ぎると、見る目が曇る。

 穴あきプレス貨幣に穴が二つ空いていたなら、「機械(穿孔機)を二度通した」以外に理由はなく、それには必ず人間の手が関わっている。機械のつくりがそうなっているので、偶然生じる余地はない。

 

注記)一発書き殴りで推敲も校正もしない。日々の日記の範囲である。