日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話993夜 母を迎える

夢の話993夜 母を迎える

 四日の午前一時に観た短い夢です。

 

 我に返ると、目の前に母が座っていた。

 「ありゃ。ここはどこだろ」

 俺と母はどこか知らぬホテルのロビーでソファに向かい合って座っていた。

 どうやら、明日、俺は所用でどこか北の街に行き、そこから戻ると母を連れて罰の場所に車で行くらしい。

 「明日はどうするの?ホテルを取った?」と母が俺に訊く。

 「今は誰も移動しないから、予約なしでも大丈夫。新幹線を降りてから電話する。もしなければ、明日のうちにこっちに戻るから」

 「じゃあ、私はこのまま家にいるから」

 

 ここでぼんやりと思い出す。

 母は今、郷里の実家に住んでおらず、どこか別の場所にいる。

 俺は北の街から戻ると、今度は車で母の家に行き、一緒にどこかに行くことになっていたのだ。五時間ほど車で移動することになっているようだ。

 しかし、その行き先がどこなのかが分からない。

 関東のような気がするから、叔母(母の妹)のところなのか。

 

 ここで、俺の頭にはうっすらと別のことが思い浮かんだ。

 「あれ。母は二年前に死んだのではなかったか」

 しかし、目の前には、母がいて。しっかり微笑んでいた。

 母はまるで五十台のよう。

 俺は何かふわふわと自分が床から浮いているような、妙な心持ちだった。

 

 「じゃあ、俺が迎えに行くまで、少しだけ待っててくれ。用事が済んだら、すぐに戻るから」

 すると母が答える。 

 「お前が迎えに来るって?いや、私の方が迎えに来たんだよ」

 俺は思わず絶句して、母の顔を見詰める。

 ここで覚醒。

 

 目覚めた時には、私は恐怖に震えていた。

 「まさか明日だったとは」

 夢と現実との区別がつかず、事態の急変について行けなかったのだ。

 私は明日か明後日、母と一緒に旅立つ。

 母を車に乗せて、どこかに去るのだが、それは「母を連れて行く」のではなく、「母が迎えに来た」のだった。

 その意味は、あと残り二十時間から三十二時間後には「死ぬ」という意味だった。

 唐突に「終わりの到来」を告げられるが、残っているのはその時間しかない。

 心の準備が出来ているつもりだったが、その実、「明日死ぬ」とは思っていなかったから、恐ろしかったのだ。

 母が来たなら、二度目の延長はもはや無いということ。明日の死を逃れることは出来ぬのだ。

 体が小刻みにぶるぶると震える。

 

 起きている時の私は「死後の存在」を確信しているが、かたや夢の中の「俺」はまだ信じていなかった。先がどうなるか分からぬことが恐怖の原因だった。

 

追記)「自分が死ぬ夢」は、夢の中でも「吉夢」の最たるものなのだが、この夢ではそれを言わずに、「長距離移動」と「お迎え」で暗示するだけ。それなら、到底、吉夢ではないようだ。