◎古貨幣迷宮事件簿 「ビニールのブックでも劣化が進行する」
ホルダーに入れ、ビニールのコインブックに入れたままにして置くと、銀貨も銅貨も劣化が早く進行する。
まず塩化ビニールは湿気を吸いやすいという前提条件があり、さらにビニール自体、塩素化合物(塩化ビニール)であるということが関係している。
銅なら青錆、銀なら塩化による黒ずみが割合早く出てしまう。
銀貨銅貨の保存には、塩素を含まぬプラスチックケースを利用するか、いっそのこと、和紙の袋に入れた方が良さそうだ。
画像は古銭会での買い入れの際に入手したものだ。近代貨、現行貨は率直に言って「迷惑な話」だったのだが、他に穴銭のコレクションがあり一括処分の希望があったので引き受けた次第だ。
五輪の年の百円は主力が記念銀貨であり、稲穂の百円の方は、それまでの年よりも発行枚数が少ない。蔵主は銀行よりロールで貰ったのをそのまま保存していた、とのこと。ほとんど未使用に近い極美品ということだ。
以来、ブックに入ったものをそのままにして置いたが、二十年以上が経過したところで、改めて開けてみると、何枚かには青錆が出ていた。
これを除いたが、残りの品についても色むらが出ている品がある。
そこで状態変化の認められる品を取り出して照合してみた。
①左はごく薄いトーンだけ。
②中央は全体がくすんでいるのと、ごく一部に塩化の痕が見える。これはおそらく硫化(トーン)ではない。
③右には、塩化の染みが左側に拡大している。
この原因は恐らく、ビニールの質によるものではないかと思う。
素材に塩素を使用していることが影響している可能性が高い。
(ここは深く掘り下げるつもりはない。既にコイン全般への関心がない。)
③を拡大して確認すると、使用した痕が幾らかあるようだ。要は、そもそもが金融機関の袋に入っていた品で、翌年くらいに改めて巻かれた「銀行ロール」だったのだろう。完未に近い状態のものもあるところを見ると、たぶん、翌年の昭和四十年くらいだと思う。
ちなみに、銀貨はロールの状態でも、一定期間後には輪側に必ず黒変が生じる。
これを避けるには、一枚ずつ和紙で包み、極力、空気に充てぬようにして、乾燥した場所に仕舞っておく必要がある。
最初に、空気と接することの多い箇所に薄いトーンが入り、年月の内には、窪んだところが塩化し、深く黒くなる。
保存方法に配慮せずに仕舞って置くと、百年も経てば、銀錆で白くなるか、谷に塩化が入る。この場合の「谷」は、極印が打たれた底ということだ。
二千年を過ぎた頃に、ある銀貨が市中に割と出たが、昭和にまとまって出た時と状態が違っていた。表面に薄いトーンが入っているが、極印の谷が白々と新しい。
「こりゃ三四年も経っていない代物だ」と思ったので、その銀貨の地元の先輩収集家H氏に、ぶしつけに訊いたことがある。
「こいつは銀の特性から行っておかしな代物ですね。極印が残っていたのですか」
銀と極印があれば何でもできる。
すると、H氏は「なあに、これは※※というところの▽◆という工場で作ったものですよ」とあっさり答えた。
別の銭種だが、ルーツ(出所)をたどると、たった一人の医師に行き着く品もあり、銀銭はあまり有難がらぬ方がよいと思った次第だ。もちろん、銀には時代が乏しいから明確な根拠を挙げて、否定するのは困難だ。
鏡のように光る円銀だって、当初は米国製だと推測されていたわけだが、数十年経ったら区別なく本物で通っている。
ちなみに、それから五六年して、ある古銭会に出たら、Hさんが「工場で作った銀貨」を本物で出品していた。しかし、本物なら堂々と正価で出せばよいのに、六掛けくらいの値段だ。
素性を知っており、かつ「こいつらにはどうせ分かるまい」と思っていたのだろう。
古銭・コインは、絵画など美術品と性格が同じで、買い手の方が値段を決める。
自身がよしと思って買った品をかなり後になり、不首尾があったと気付いても後の祭りだ。自身が調査不足で、要は鑑定眼を持たなかった、ということだ。
後で文句を言う者もいるが、そういう人は「他人任せ」で、前例がありそれに似ていないと判断できない。よって、元の銭が変化したもの、あるいは新銭種が出ると、手が止まってしまう。ありきたりの品を安く手に入れることだけに執心していると、結局は見すぼらしい品ばかり並ぶことになる。
また、損得で思考する人のコレクションには、往々にして贋作が入っている。
H氏が六掛けで出品したのは、そうする理由があるからで、損得だけ考える者は「周囲が良いと言っているし、格安だ」と手を挙げる。で、後になり実態を知ると、「偽物を掴まされた」と騒ぐ。
基本は、眼が利かぬ者のする振る舞いで、加えて判断力も度胸も無いということ。
自分なりの見解をもって判断を下したなら、当然、その責任は自分自身が取ることになる。
この世界には他人のコレクションを覗き見て、「これを抜いてやろう」と考える者ばかりが多く、正直、人間的に尊敬できる人が少ないと思う。
若者に対して「古銭など見ていないで外に出ろ」と言うのはその点だ。
コロナが一段落すれば、世界に出て行ける。
自分自身をビニールホルダーに押し込めて、青錆を浮かせるようなことはやめて、マチュピチュでも見に行った方がひととしての器が広がる。
沖縄の首里城を見物に行き、崩れた崖の下から中山通寶を見付けた人がいるが、そんな事態だって起きないとも限らない。まさに一石五鳥。
かなり脱線した。やや口が悪いのは、体調が悪いからで、心中には怒りが渦巻いている。
いつも通り、一発書き殴り。