日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「旭日龍五十銭銀貨 明治四年の文字型」

◎古貨幣迷宮事件簿 「旭日龍五十銭銀貨 明治四年の文字型」

 もはや「あの世」まで秒読みの態勢で、葬儀屋の手配まで始めているのだから、今さらコインなんぞやってはいられない。

 どうせ早晩、総ての品をきれいに処分するし、概ねそれも終わっている。

 新しいことなんぞバカらしく感じるのだが、コインの価値は「コインそのもの」にはまるで存在せず、価値があるのは知見の方なのだから、少し道をつけると興味を持つ人が増え、結果的に市場価値が上がる。

 ま、残りは少ないが、極力を値を吊り上げようと思う(大笑)。

 冗談はともかく、先日、たまたま五十銭の文字型の違いに気が付いた。

 同じ規格で見れば正体がはっきりするだろうと考え、もう少し調べることにした。

 旭日龍五十銭なら、なかなか見栄えが良い貨幣なので、全部を重量売りにはしていない筈だ。ちなみに、使用済み並年銀貨は、今のコインとしての売買価格よりも銀地金としての方が取引価格が高い。金と同様に銀の地金価格も高騰しているからだ。

旭日龍五十銭銀貨のサンプル。8,9は小型なので参考まで。

 ひとまずすぐに出たのは9枚だったが、うち2枚は小型だった。規格が違うのであれば比較の対象にはならぬが、ひとまず参考までに情報を取り置くことにした。

 これに「ハンディ・マイクロスコープ」を使用し、「接写撮影」した画像を文字別に収集することにした。こうすると、倍率も同じでサイズも同じ画像となり、画像の比較ではブレが生じやすい「サイズの比較」もある程度可能になる。同じサイズの枠で観察したのと同じことになる。

旭日龍五十銭銀貨の文字型 (9サンプル)

 留意の必要な点は、極印は数千回から五六千回使用できたと思うが(忘れた)、最初の頃と極印が割れて使えなくなる直前では、摩耗劣化が生じるであろうことだ。

 どのように劣化するのかは、具体的に調べる必要があるわけだが、今の段階ではとりあえず「誰が見ても同じに見える変化」を収集すればよい。

 ひとまず、印象によらぬ相違を引き出したが、枚数をあたれば、さらに様々な事実が分かるかもしれぬ。これは、こういう対象に興味を持つ人が先に進めればよいことだ。

 既に25年は前から「ハンディマイクロスコープで、見る世界が変わる」ことを訴えて来たが、ほとんど話題に上らぬところを見ると、実際にやってみた人は数少ないようだ。ま、そんなものだろうとは思う。

 古貨幣の収集家の性癖は、「先人の作った銭譜通りに品物を集めた上で、そこに少し分類に変化を加える」というものだ。その考え方では、先人の作った道を一歩も出ることは出来ない。ちょっと工夫すれば、やれること、やるべきことは山ほど存在している。

 

 とりあえず、今の段階で言えることは、「文字型に関する有意な相違が存在している」ことが確かだと言うことだ。

 真面目に取り組めば、かなり面白いと思う。

 解明には大量観察が必要だが、今の相場であれば割と枚数を集められる。

 極端な難が無ければ、状態もあまり関係ないところが利点だろう。

 だが、急いで押さえぬと、これに触発された人が複数出て来ると、相場がひゅっと上がってしまう。もちろん、私にとって今では関心の薄くなった作業をしているのは、それが狙いでもある。正統派の吊り上げ工作ということ。

 この銭種になると、銀地金よりもコイン売価の方が高いわけだが、現状はかつての購入時の仕入れ値に全然届かぬ水準にある。売るに売れぬので「塩漬け」の状態だ。

 

追記)既に収集家ではないので、「根拠を挙げての批判的検討」だけでなく、「皮肉や悪口」までもてんこ盛りにしてやれと思うのだが、この比較作業は実はかなり面白い。

 最初に1)を見たので気付いたのだが、極印の下書き段階で何人かの書き手がいたようで、歴然とした書体の違いがある。体系的に整理すれば、かなり楽しめると思う。

 後足で砂をかけるように去りたいのだが、良いネタを提供してしまったかもしれん。

 陰口悪口の山を築きたいのに残念だ。(悪口雑言は延命の素材になる。)

 ところで、この手の整理は、あまり細に入り過ぎず、「見れば分かる水準」に落とし込むのがポイントだ。

 状態評価を事細かに細分化するよりも、こういう方向性の方がましだと思う。

 (やはり意図的に幾らかは毒を盛って置く。)

 

注記)いつも通り一発殴り書きで、推敲も校正もしない。あくまで日々の雑感だ。