日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌「悲喜交々」2/9 勝手に連写

病棟日誌「悲喜交々」2/9 勝手に連写

 病棟で時間を潰すネタがいよいよ無くなった。

 国会はつまらんし、玉川氏が去った後はワイドショーもつまらん。三浦氏が出るようになったあたりから「まがいもの」ばっかり出ている。若手のコメンテイターの話は「井戸端レベル」だし、せめて玉川氏か青木氏くらいの「突っ込みどころ満載」でないとな。薬までは望まんから、せめて毒を出せよな。「このウマシカめ」と叫ばせろ。

 「テレビに出る専門家は、その道の世界では相手にされぬ人」と言うが、「片栗粉を溶かしたやつ」ばかり飲めと言われても無理だわ。もはやテレビ自体を観る気がせん。

 

 仕方なく、例によって『シャイニング』を観ていた。何も観るものが無い時には、いつもこれを観るが、何百回観ても飽きが来ない。「現代ホラーの原点」だけに、場面一つひとつに意味がある。ちなみに、「現代スリラーの原点」はヒチコックで、これもいくら観ても飽きない。『間違えられた男』『裏窓』などは、筋を知っているのにドキドキする。

 そこへ、オヤジ看護師がやって来た。このオヤジ(四十過ぎくらい)は、先日、私が意識を失った時に体を支えてくれた看護師だ。私の状態に気付き、さっと体を支えてくれたので、床に頭を打たずに済んだ。

 ちなみに、いまだにこの看護師の名前を知らない。名札を付けていないから、知りようがない。

 とりあえず、「ゴン兵衛」と呼ぶことにする。「名無し」は「ゴン兵衛」と決まっているのだが、今の人はそれも知らんだろ。

 

 ゴン兵衛氏はすぐに私が観ている映画が『シャイニング』だと見て取った。

 ホラーが好きで、『ウォーキングデッド』はずっと観ているらしいし、好きな映画が『オーメン』だと言う。

 『シャイニング』について「最初に双子が出て来る場面とかは最高だよな。異世界感がどばっと出るもの」と言うと、ゴン兵衛氏は「私の方はドアにレッドラムと逆さ文字で出るところの印象が強いです」と答えた。

 

 私の方が続けて、「北海道や青森の旅館で、夜中にトイレに起きたら、深夜の一時過ぎなのに、奥座敷で宴会をやっていた」という経験談を話した。私には同じような経験が複数回ある。

 「田舎だけに、こんなに遅い時間まで飲むのだな」と思いつつ、用を足し、自分の部屋に戻ろうとしたが、同じ奥座敷の前を通っても、今度は声が聞こえなかった。

 つい一二分前には、オヤジたちのだみ声やオバサンの嬌声が聞こえたのに。今は聞こえない。

 不審に思い、襖を引き開けて見ると、中には誰もいなかった。

 真っ暗で、人気のないだだっ広い部屋だ。

 「こういう実体験があるので、あの1920年のパーティの場面を観ると、その度に奥座敷の宴会の音を思い出すんだよ」

 

 と話した瞬間、枕元に置いてあったスマホにスイッチが入り、カメラモードになり、三十枚くらい連写した。

 画像はその時にスマホが勝手に撮影したもの。ベッドの右上の機械とゴン兵衛氏の腰あたりが写っている。

 「誰も触っていないのに、気持ち悪いですね」とゴン兵衛氏。

 「ま、スマホには誤作動があるからね」と答える。

 手を触れていないのに、電源が入り、カメラのスイッチを入れ、連写モードに設定するという三段構えの誤作動なのだが、それでもまだ「誤作動」の内だと思う。

 何せ、昨年などは、「回線の繋がっていない受話器がチリンと鳴る」「スマホがオヤジジイの声で『憑いた』『憑いたぞ』と叫ぶ」という事態が起きているので、この程度なら驚かなくなっている。

 「ここには絶対に居ない筈の人の手」が見えぬ限り、電子機器なら誤作動の範囲だと思ったほうが気が楽だ。

 この程度で、いちいち気にはしてられんのだよ。

 

 ここへユキコさんがやって来た。

 「どうも有難うございました。朝晩ご供養をしていますが、不安感が消えました」

 「火曜日にはうちの女房も人身事故の現場に立ったらしく、気分がすぐれないと言ってましたね。車両の真下だったので、窓から状況が見えたそうなんで」

 話が話なので、ゴン兵衛氏が内容を悟り、素面に戻っていた。

 

 以上は病棟で起きた取り留めのない出来事で、オチはなかったのだが、たった今ついた。

 この何か月かは電話が鳴らなかったのだが、たった今、「ジリリン」と鳴った。

 幾度も書くように、この電話の電源は繋がっているが、回線は外してある。

 昨年のことがあるだけに、幾らか頭に入れて置いた方が良いかもしれん。一度取り憑かれると、普通は長い付き合いになる。

 

 「あの世」でも「この世」でも苦戦の連続だが、めげずに前進しようと思う。

 一時期のあの状態を乗り越えられたのだから、大概のことではへこたれない。

 ずっと孤立無援だったが、今は相棒がいるし、私はそもそも「助けられる側」ではなく、常に「助ける側」だ。