日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第731夜 葬式

◎夢の話 第731夜 葬式
 令和元年初日の零時15分に観た夢です。

 襖を開けて中に入ると、何かの会合をやっていた。
 広い座敷のような畳の部屋で、五十人くらいが座卓を囲んで座っている。
 皆、黒い服を着ていた。

 「俺の席はどこなんだろうな」
 どこかにある筈だが、思い出せない。
 トイレかどこかに行っている間に、ふっと記憶を失くしたと見える。
 最近は、つい数日前のことが思い出せない。もちろん、昨夜、何を食ったかなんてことも忘れている始末だ。
 ついさっきまで手に持っていた筈のホチキスがどうしても見付からない。

 部屋の隅に立って様子を見る。
 手前の方には、大学の知り合いがいた。ゼミの先輩後輩だった。
 「してみると、俺の席はあそこか」
 別の卓に目を移すと、俺の高校の同窓生がいた。
 いくらか重なってもいるから、教育関係の人たちなのか。
 奥の方に目を遣ると、小学校の同級生がいた。
 「還暦祝いをやるような話をしていたが、俺は行かない。会合には一切出ないからな」
 俺はもはや八分は棺桶に入った状態なのだから、人づきあいは必要ない。
 既に棺桶の底に横になっているから、蓋を閉めればそれで完了だ。

 ここで腕を組んで考える。
 「皆、大なり小なり俺の知り合いだな。この場の人々全員を繋ぐのは、俺ひとりだ」
 それなら、容易に想像がつく。
 「ということは、死んだのは俺か」
 ふうん。年齢層を見ると、結構、あれからもったらしい。
 喜怒哀楽の感情がまるで沸いて来ず、ただ呆然と会場を眺める。
 息子には「俺の葬式は不要だ。遺灰を姫神山に撒いてくれ」と伝えていた筈だが・・・。

 「こういう時は、この人たちの間に座るべきなのか、あるいは・・・」
 これから何をすべきか、どこに行くべきかが分からない。
 ここで覚醒。

 令和元年の最初の夢は、最高の吉夢である「自らが死ぬ夢」でした。
 開運の象徴で、やること為すこと上手く回り始める時のサインです。
 でも、この1年は散々、苦労したので、「今、生きていられるだけで感謝」です。
 昨日、病院にいる時も、病棟のチーフに「俺は今、生きていられるだけで有り難いと思う。看護師さんたちにも感謝の気持ちしかない」と伝えました。
 すると、オヤジ看護師は、「気持ち悪いですねえ」と笑っていました。
 偏屈なオヤジジイが、突然、殊勝なことを言ったら、「怪しい」と思うのも当たり前です。